吉田晴乃死去。 《zak女の雄叫び お題は「選ぶ」》G20翌日に突然…誰もを魅了した女性の急死 (1/2ページ)

吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説全文 (2/3) :日経DUAL

吉田晴乃死去

BTジャパン 社長 吉田晴乃さん 30歳で日本を飛び出したんですが、海外生活が人生を変えました。 すごい開放的だったんですよ。 自分にめぐり合ったっていうんですか。 縁故でしか4大卒の女性は採ってもらえない時代ですから、大学4年の時に親の決めた某大企業に押し込んでもらいました。 私は3人姉妹の真ん中で、独立心が強く、個性的というか変わり者だったんですね。 幼いころから自己表現力にたけ、主張も人一倍。 あの時代の女の子としてはありえないわが子の将来を案じた母は、私をなんとか矯正し、時代の定型にはめようと、大変な葛藤をしたんですが、それでも個性は成長とともにさらに強くなってくる。 親は大変だったと思います。 ところが大学を卒業する寸前に、私は病で倒れ、生死の境をさまよいました。 運命の矯正力ってすごいですよね。 内定も白紙で、ここからまさに「世間亭はばからず」な人生が展開しました。 1990年初期カナダ人と国際結婚をし、1歳になる愛娘を連れて、カナダに移住しました。 公園デビューよろしく、カナダで初のママ友をさがして公園をさまよい歩くんですが、そこはだだっ広い森で、コヨーテがでてきました。 これはどうも様子がちがう。 この国ではママたちは子供を預けて仕事していたんですね。 郷に入りては郷に従えということで私も仕事をすることを決意し、カナダ国営の電話会社に勤めたわけなんです。

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すがる子どもを振り切ってミーティングへ -BT(ブリティッシュテレコム)ジャパン 社長 吉田晴乃さん【1】

吉田晴乃死去

女性は地球の大きなインテリア 司会:次なんですけれども。 『ELLE』ということなので、気になるリーダーとしてのファッションについてお伺いしたいと思うんですけど。 いかがですか。 今日も、バッチリお二方決めてると思うんですけど。 吉田晴乃氏(以下、吉田):この質問が出てくるってわかってたら、着るもの考えちゃったよね(笑)。 上から下まで見られるんだろうな、って。 女性って、地球の大きなインテリアだと思うの。 (会場笑) 本当にそう思うのよ! 私ね、大好きなレストランがあって、マンハッタンのダニエルていうんですけど、是非行ってみてください。 日本にだって素敵なレストランはいっぱいあるんだけど、何が違うって、中にいる女性たちの着飾り方。 これ、すごく大事だと思うんですよ。 是非、日本の女性に特に申し上げたいのは「誰も見てないや……」なんて、こういうアンダーエスティメイト(過小評価)って、絶対良くない! 「いっつも、私を見ているんだ!」って。 トップに行く、リーダーになるグローバルの女性たちって、ものすごく自意識過剰なわけ。 でね、これはファッションだけじゃなくて、仕事にも間違いなくそうなんですよ。 「誰も見てない、私のやること……」なんて、手抜くでしょ? そういうことじゃないの、絶対。 自分の影響力ってものを、もっと信じなきゃ。 雰囲気を変えられる女性がもっと必要 吉田:女性のパワーってすごいんですよ。 私も「なんとか団連」ってものをやってますから(笑)。 男性だけのミーティングルームって、いっぱいあるわけですよね。 女性のパワーって、今一度感じたほうがいい。 私もオフィスでできるだけ着飾ろうとしてるの。 オフィスのインテリアにあまりお金使わないんですよ、お金がかかるから(笑)。 だけど、やっぱり社長がきちっとして出社してくると、クッと緊張感が。 「空気が変わる」ってのが、自分でわかるわけ。 私たちがこれから考えなきゃいけないのは「私たちがミーティングへ行って、パッと入った時に、空気変えられる女性ですか?」ってこと。 そういうエンパワーメントっていうのかな。 これはグローバル・スタンダードです。 言葉は通じなくても、あの人が入ってきただけで雰囲気が変わる、って人たちをたくさん見てきました。 そういう女性たちになりたいよね、っていう風に思いますよね。 その一部にファッションっていうのが大きくあるんじゃないかと思います。 女性リーダー2人のファッションに対する想い 司会:ファッションを選ぶ時って、自分で好きなものを選ぶんですか。 吉田:驚くかもしれないけど、たくさんの母のお古っていうのがあるんですよ。 今日はさすがに違うんですけど、アクセサリーとか。 うちの母っていうのは、一昨年亡くなったんですけど。 78歳で。 最後まで絶対に気を抜く人じゃなかったの。 家の中にいても。 着崩してるっていうのを見たことがないですよ。 それを、今でも神々しく思うわけ。 78歳でもできる。 死ぬ直前まで。 私たちだってやらなきゃいけないわよね。 そういうのはあります。 石谷桂子氏(以下、石谷):改めて、その通りだなっていうふうに感じました。 私も、この立場になった時に、広報部の人間から「持ち物とか着るものとかには、気をつけてください」っていうふうには言われたんですよ(笑)。 アメリカの田舎に7年間いたので、もうちょっとラフな格好でよかったんですけれども。 やっぱり、「違います!」と。 「そうは言っても、日本のマーケティングのトップで外に出て行かれることもあるんだから、そこはきちんとしてくださいね」というようなこと言われて、「えぇ……」って思ったんですけど。 やはり、おっしゃる通りで、出ていくこともあるし、そこで「素敵ですね」って言われるとうれしいし。 吉田さんほどゴージャスじゃないんですけど、気をつかうようにはしていますね。 外の方に会う時も多いので、ジャケットは割と着るようにはしているんですけど。 そういう意味では、大事かなと思ってます。 結構、真っ黒集団に入ることは多いですよね? おじさまたちがいっぱいいるような。 その中に黒いスーツっていうのも、華やかじゃないので。 ファッションに気をつかうって、大事なことじゃないかな、っていうふうに思います。 改めて思いました。 司会:そうですね。 是非『ELLE』誌で、ファッションを皆さんチェックしながら。 あと、こちらのリーダーをお手本にして。 吉田:ウーマノミクスでお金かけてますからね(笑)。 司会:洋服を買って経済にも貢献する、ということですね! ウーマノミクスで。 平和な時代に生まれた私たちの責任 司会:残り5分ということなので、皆さんにメッセージをお願いしたいんですけど。 吉田:これは、いろんなところでお話しているんですけど、いろんな時代に、いろんな日本人たちがいます。 そこに生きるいろんな女性たちっていうのがいましたと。 例えば、戦国時代があって、幕末があって、明治維新があって、戦争があって、戦後があって。 今、私たちは昭和、平成。 あなたたちは平成だわね。 生きてる女性がいます。 先人たちっていうのが、その時代に命を懸けて日本をつないできたんですよ。 命懸けだったんだよね。 この時代っていうのは。 江戸、明治からって。 私たち、その時代を経て、いろんなものを整えていただいて、この時代に生まれた女性としてね。 ひとつだけ絶対になかっただろうな、でも、その時代に生まれてきちゃったものは、女性が日本の輝く未来の突破口になります。 「あなたたち、立ち上がって下さい!」なんて言われたことは、この歴史上あっただろうかと。 恐らくなかったと思うのね。 私たち、平和な時代に生まれてきて、だけどそれって、先人たちのすごい苦労の挙句に、たまたまこの時代に生まれてきて。 だけど、その次の時代の橋渡しのために「やってください」っていうことがあるとしたら、ここは絶対に買ってでなきゃいけないんじゃないのかな、って私は今思っています。 今、少子高齢化とか、いろいろなことがある中で、日本の人口減とかっていうのは「社会危機」として言われてきているわけですよね。 私がやった、最大の功績があるとしたら、やっぱり自分で次世代につなぐ娘を持ったってことなんですよ。 これがどれだけ私を今まで支えてきたか。 これから私の人生を豊かにしていくか。 それはやっぱり動物のDNAだと思う。 私は、命をつないだって。 そこも、是非考えていただきたいと思います。 幸せな時代に生まれて、我々のミッションって改めてみんなと考えていきたいなと思います。 長谷川:ありがとうございます。 ロールモデルという言葉は好きじゃない 石谷:私、個人的に、ロールモデルっていう言葉が好きじゃなくて。 私自身がロールモデルだと全然思ってないですし、私自身のロールモデルもいなかったし。 私たちも1つのタイプでしかないので、女性を見ていただいて、自分がどうなっていったら幸せになっていくのかっていうことを考えてもらうのが一番いいんじゃないのかなと思います。 吉田さんにも本当にパワーをいただいたんですけど、私と吉田さんが共通しているのは、非常にポジティブで前向きだっていうことなんですよね。 過去と他人ってのは、変えられないんですよね。 未来と自分が変えられるので、常に前向きに一歩一歩進んでいっていただきたいな、というふうに思います。 みなさん100人100様のキャリアがあると思うので、おっしゃっていただいたように、幸せな時代に生まれましたし、いろんな形がこれから皆さんで作っていけると思うので、一緒に頑張っていきたいなっていうふうに思います。 司会:ありがとうございます。 お話を伺っていて、最後に私の印象として思ったのがお二方とも、すごく自然体でいらっしゃるということですね。 自分を大きく見せようとか、かっこつけるというよりも、自分らしさを持っているというのが、今日の印象として残りました。 それから、優しい。 語りかけるところが優しかったり、女性らしさを持っていて、リーダーのスタイルとして、男性と違うリーダーシップのスタイルってあると思うんですけど、それを今生きているような感じがして、たくさんのインスピレーションをいただきました。 今日はこれで終了ということで、もっともっと聞きたい、何時間も聞きたいですけれども、残念ながら時間となりましたので、お二方に大きな拍手をお願いいたします。 ありがとうございました。

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すがる子どもを振り切ってミーティングへ -BT(ブリティッシュテレコム)ジャパン 社長 吉田晴乃さん【1】

吉田晴乃死去

BTジャパン 社長 吉田晴乃さん 30歳で日本を飛び出したんですが、海外生活が人生を変えました。 すごい開放的だったんですよ。 自分にめぐり合ったっていうんですか。 縁故でしか4大卒の女性は採ってもらえない時代ですから、大学4年の時に親の決めた某大企業に押し込んでもらいました。 私は3人姉妹の真ん中で、独立心が強く、個性的というか変わり者だったんですね。 幼いころから自己表現力にたけ、主張も人一倍。 あの時代の女の子としてはありえないわが子の将来を案じた母は、私をなんとか矯正し、時代の定型にはめようと、大変な葛藤をしたんですが、それでも個性は成長とともにさらに強くなってくる。 親は大変だったと思います。 ところが大学を卒業する寸前に、私は病で倒れ、生死の境をさまよいました。 運命の矯正力ってすごいですよね。 内定も白紙で、ここからまさに「世間亭はばからず」な人生が展開しました。 1990年初期カナダ人と国際結婚をし、1歳になる愛娘を連れて、カナダに移住しました。 公園デビューよろしく、カナダで初のママ友をさがして公園をさまよい歩くんですが、そこはだだっ広い森で、コヨーテがでてきました。 これはどうも様子がちがう。 この国ではママたちは子供を預けて仕事していたんですね。 郷に入りては郷に従えということで私も仕事をすることを決意し、カナダ国営の電話会社に勤めたわけなんです。

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