コング 元帥。 海軍 (ONE PIECE)

海軍 (ONE PIECE)

コング 元帥

アーネスト・ジョゼフ・キング Ernest Joseph King 渾名 アーニー レイ アーニー小父さん 生誕 死没 1956-06-25 (77歳没) 所属組織 軍歴 1901 - 1945 最終階級 除隊後 海軍歴史協会理事長 アーネスト・ジョゼフ・キング( Ernest Joseph King, - )はの軍人、。 生まれ。 中は海軍制服軍人のトップである司令長官兼 Commander in Chief, United States Fleet, and Chief of Naval Operations: 略称COMINCH-CNO として戦略指導を行い、司令長官兼太平洋戦域最高司令官 Commander in Chief, United States Pacific Fleet and Commander in Chief, Pacific Ocean Areas: 略称CINCPAC-CINCPOA の上官だった。 生涯 [ ] 生い立ち~海軍入隊 [ ] キングはにで、父ジェームズ・クライズデール・キング James Clydesdale King と母エリザベス・ケーム・キング Elizabath Keam King の間に生まれた。 父はアイルランド系移民での水夫と橋梁工事員を経て鉄道修理工場員、母方の祖父は英国の船大工から渡米して石油精製会社に勤務していた。 高校に入るのが精一杯の家庭であったため、1897年にへ入校。 在学中に起きたに志願してに乗り組んだ。 1901年に卒業、卒業席次は67人中4番。 少尉候補生となると、戦艦乗組みとなるが程なく副長と衝突し、アジア艦隊所属の巡洋艦に転属となる。 シンシナティの第1分隊長として初めて部下の水兵40人を持ったキング少尉候補生(在職中に少尉)は「厳しいが公正」をモットーとし、大統領の提唱で始まった海軍の第1回射撃コンテストで分隊を優勝させた。 シンシナティ乗組みの水兵300人の約4分の1が外国人で、特に古参の下士官に多く、これは当時のアメリカ海軍の平均的数字だった。 水兵は悪い食事と住環境、自由の制限を理由に年14%の割合で逃亡し、上陸すれば逃亡するか飲んだくれるトラブルメーカーだった。 キングが上海で分隊の水兵たちの記念写真撮影をアレンジしたとき、キングは水兵たちにせがまれて一緒に写真に写っている。 キングが大西洋艦隊司令長官 Commander in Chief, United States Atlantic Fleet: 略称CINCLANT となったとき、第1分隊の元水兵の多くが祝い状を送った。 戦艦機関長(大尉)時代には、海軍の機関部門のコンテストで優勝しそうになったが、戦艦2隻の故障で海軍省がコンテストを中止した。 日本体験 [ ] シンシナティがに入港した折、キングは見物のために鎌倉に向かった。 しかし見物の最中でスリに遭い、財布を盗まれた。 鎌倉駅に到着してキングはスリにあったことに気づいた。 キングは駅員に事情と身分を話し、後払いで横須賀行きの切符を購入しようとしたが、駅員はあくまで現金払いを要求した。 この時の様子をキングは「彼は、ひどく疑わしそうだった。 あるいは外国人は嘘つきだという信仰の持ち主だったのかも知れない。 とにかく、現金がなければ切符は売れない、と繰り返し、結局本官はオーバーをぬぎ、それを抵当にして横須賀までの三等切符をもらった」と語っている。 一週間後に現金を渡してオーバーを引き取ったが、「ひどく不愉快だったので、料金だけをはらい、チップは1セントも出さなかった」。 この出来事との勝利の影響で白人に対して傲慢な態度を取る日本人に悪印象を抱く。 戦間期 [ ] 後、潜水艦基地司令(大佐)時代の、衝突事故で沈没した潜水艦引き上げ作業指揮を命じられた。 水深約40mまで潜れる潜水士は海軍でも少なく、最終段階で潜水士長が「これ以上潜水士たちの安全の責任を負えない」と作業継続を拒否したほどだったが、他の潜水士たちはキングの作業継続の主張に同意してやり遂げ、キングは海軍殊勲章 を受章した。 水上機母艦艦長時代のには、別の衝突事故で沈没した潜水艦引き上げ指揮を命じられて成功し、2つ目の海軍殊勲章を受章した。 S-4が沈んだのは水深約31mで港にも比較的近いなどS-51よりは条件が良く、経験者や道具が揃っていたとはいえ、命令で潜らせることができる深さではなかった。 48歳でパイロットの資格を取り、航空畑に入って空母艦長となる。 キングがレキシントン艦長に就任したとき、アメリカ海軍は空母の運用方法を模索中で、乗員数も職種も多い「自由放任」の「たるんだ艦」とみなされていたが、キング艦長の下でレキシントンの士気は非常に向上した。 キング艦長は艦内法廷で水兵に誠実に接し、心を動かされた水兵はしばしば、分隊士官が隠したがる秘密を打ち明けた。 部下の士官は全員、自分の考課表を見てキング艦長と話し合い、自分がどこにいるかを知ることができた。 キングは艦上では厳格だったが、上陸すると兵士の一人となり、酔った部下の暴言にも寛容で「アーニー小父さん」の渾名が付いた。 キングが艦長を離任する際、乗組員たちは盛大な送別パーティーを開き、キングは涙ぐんだ。 トーマス・B・ビュエルがキングの正伝を執筆する際、レキシントン元乗組員の多くがキングについてビュエルに語りたがったという。 なお後にSF作家となるはこの時期(1931年から3年間)にレキシントンで勤務していたため、後にキングについて多数の軍事史家からインタビューを受けている。 レキシントンでの勤務後は戦略を学ぶため海軍大学校高級課程へ進んだが、この時対日戦略を検討する課題が出された。 キングはレポートで「敵""は、我々を不利な対外戦にひきずりこんで打撃を与えようとするだろう。 そのためには、"オレンジ"はフィリピン、さらにハワイを攻撃する可能性もあり、我々は"オレンジ"との戦いでは、まずきわめて不利な"手段と方法"しか与えられない戦争に巻き込まれることを予期せねばならない」「カマクラの体験は、私に日本人の二つの特性を教えてくれた。 ひとつは、財布をうばうのに暴力よりはスキをねらう技術を重視するということであり、もうひとつは、駅員の態度が象徴している如く、相手の不利に容赦しないということだ。 この二つの特性が軍事面に発揮されれば、日本の戦争のやり方が、奇襲とあらゆる方向への前進基地推進を基本にすることは、容易に想像できるはずだ」と自身の体験から日本の奇襲戦略を予測している。 1933年、少将に昇進して海軍省航空局長 Chief of the Bureau of Aeronautics に就任。 1938年、戦闘部隊航空群司令官 Commander, Aircraft, Battle Force: 略称COMAIRBAT 、中将。 1939年には少将に戻り将官会議 General Board のメンバーとなる。 平時であれば退役を待つだけの閑職であったが、海軍長官の合衆国艦隊観閲の随員となった際、艦艇の対空砲の対策を命じられ、通常3年かかる仕事をわずか3ヶ月で終わらせた事からの目に止まる。 1940年7月にが成立しすると大統領の指名をうけ哨戒部隊司令官 Commander, Patrol Force: 略称COMPATFOR に就任。 1941年2月に 海軍長官の一般命令第143号「合衆国海軍部隊の組織」 で哨戒部隊がに昇格したことに伴いCINCLANTとなり、大将に昇進した。 第二次世界大戦 [ ] が発生した際、キングは報告を行った副官の前で「それだ、ワシにはわかっていた」と叫んだという。 真珠湾の被害視察から戻ったノックス海軍長官は15日夜、ルーズベルト大統領にCINCPAC大将解任と、3人の地域別艦隊司令長官の上に立つ職として、2月に一般命令第143号で常設職としては廃止したばかりの合衆国艦隊司令長官 当時の略称はCINCUS 復活を提言し同意を得た。 CINCUS候補としてノックスの念頭にあったのはCINCLANTキング大将と言われる。 前CNO退役大将はCNOの任期が切れて退役した後、海軍長官起用が噂され、プエルトリコ総督在任中にはルーズベルトに呼び出されて「ヨーロッパで戦争が起きたら、すぐにここへ戻って私に助言して欲しい」と言われたほど信任が篤かったが、当時は駐仏大使で、まだ大統領は呼び戻しを考えているようには見えず、CNO大将は真珠湾の責任問題と無縁ではいられなかったからである。 そしてノックスは、すでにドイツ海軍潜水艦と「宣戦布告なき戦い」を戦っているキングを高く評価していた。 共和党員のノックスは民主党政権の海軍長官を引き受ける条件として、ルーズベルトの介入なしに海軍省を管理する権限を得ていた。 翌16日午前、ノックス長官はワシントンに出頭したキングにCINCUS復活とキングの同職起用を告げた。 キングは先任のスタークが艦隊を指揮すべきだとしたが、ノックスはキングに固執した。 午後にはルーズベルト、ノックス、スターク、キングの4人が会談。 ルーズベルト大統領は18日、陸海軍最高司令官としての権限を発動して大統領直属のCOMINCHを置く大統領令第8984号 に署名し、艦隊は海軍長官から大統領の指揮下に移った。 1915年にCNOが創設された時の海軍長官が軍人の権限拡大を嫌って反対したことなどにより、CNOには認められて来なかった艦隊指揮権がキングに与えられ 、日本で言う「軍令」が「軍政」から独立した。 しかし大統領令第8984号ではCOMINCHキングとCNOスタークのどちらが海軍のトップかはっきりせず、部内に混乱が生じ、スタークが1942年3月7日、ルーズベルト大統領に辞任を申し出て了承された。 ルーズベルトは大統領令第9096号 でCOMINCH-CNOの肩書きを設け、キングを海軍のトップとし、海軍作戦副部長 Vice Chief of Naval Operations: 略称VCNO を新設して、海軍作戦部次長 Assistant Chief of Naval Operations: 略称ACNO フレデリック・ホーン中将が就任した。 キングは艦隊を担当するCOMINCHと海軍省を担当するCNOの両方を細部にわたって処理する時間がないので、CNOの仕事の多くをVCNOホーンに委任し、VCNOの肩書き以外はホーンが実質的なCNOとなった。 キングは JCS と CCS の仕事が時間の3分の2を占めたと回想しているが、これはCNOの部下である海軍作戦本部 Office of the Chief of Naval Operations:略称OPNAV ではなくCOMINCH司令部が扱うものだった。 キングの正伝はキングの時間の98%がCOMINCHの仕事にあてられたとする。 1944年12月17日、戦時の特例として設けられたに昇進した。 「ヨーロッパ第一主義」に傾きがちな陸海軍参謀長会議(4人で構成)のメンバーとして、キングは対日戦での勝利に精力を注ぎ込んだ。 またフィリピン攻略を優先するの戦略に反対し、台湾攻略による遮断を主張したが入れられなかった。 以降は陸軍の戦略と協調し、以前反対していたにも賛成した。 賛成の理由を聞いたには「40年前に盗まれた財布をとりかえせるかと思ってね」と語った。 戦後〜晩年 [ ] 日本の降伏が決定すると、キングは副官に「さあ、すべて終わった。 明日は何をすればいいだろう」、「ここでやることはあるだろうが、私はもう必要とされないだろう」と語った。 退役年齢の64歳誕生日前にルーズベルト大統領に出した進退伺いから見ても、キングは戦後も海軍トップに居座る気はなかったと思われる。 COMINCH司令部には参謀長チャールズ・クック中将を筆頭に、COMINCHと司令部を存続させてCNOから移された権限を持続すべきという意見もあったが、海軍トップはCNOであるべきというのがキングの持論で、10月10日付でCOMINCHを廃止し、艦隊指揮権はCNOに移された。 キングはCNOを退いてCINCPAC-CINCPOAニミッツ元帥を後任にしようとしたが、フォレスタル海軍長官とニミッツは両者の海軍次官、航海局長 Chief of the Bureau of Navigation 時代から仲が悪く、太平洋戦争中もフォレスタル長官はニミッツにCINCPACの広報誌を発行させようとして対立し、敗れたため、キングの次に嫌っており、フォレスタルはVCNOリチャード・エドワーズ大将か航空担当海軍作戦部次長 Deputy Chief of Naval Operations for Air: 略称DCNO AIR 中将をCNOにしようとした。 結局ニミッツ自身の猟官運動や大統領に対するキングの直談判などにより、4年の任期を2年にするというフォレスタル長官の条件を呑んで12月15日にニミッツがCNOに就任した。 以後キングはで引退生活を送っていたが、1947年に脳出血を患いベセズダ海軍病院に入院、以後寝たきりとなった。 1956年6月26日に心臓発作で死去、77歳だった。 の5番艦がキングの名にちなんで命名された。 また、内にあるアメリカ軍人・軍属の子弟のための学校は、キングの名を冠したものである()。 キングの指揮哲学 [ ] キングは自伝で大規模戦争における部下のイニシアティブの必要性を繰り返し強調しているが、CINCLANT時代にその指揮哲学を明示した。 1941年1月21日のCINCLANT命令第53号「司令部の訓練 命令と指示における詳細の過剰」 では、将官や群指揮官が部下に「何を」だけでなく「いかに」すべきかも命令・指示することが標準的習慣になっているが、命令で絶対必要な要素は「部下のイニシアティブ」であるとし、我々は迫り来る戦争の準備をしており、部下の任務について「何を」「いつ」「どこで」「なぜ」以上に、「いかに」まで指示する時間も機会もないとした。 そして部下の指揮官が「有能」でないと判明するまでは「有能」であるという前提で「何をすべきか」を命令し、「いかにすべきか」は部下が「自分で先見の明を働かせ、考え、判断し、決断し、行動する」よう訓練して、「彼らの"面倒を見る"ことをやめるように」と命令した。 さらにキングは4月22日のCINCLANT命令第328号「司令部の訓練 イニシアティブの正しい使用」 で第53号の原則を繰り返すとともに「分業」と「分権化」を説き、司令部の効果的訓練にはハードワークが要求されるとした。 キングも元来は詳細な命令を出すタイプだったが、COMPATFOR、CINCLANTとして大西洋全域でドイツ海軍との「宣戦布告なき戦い」を任されると、それまでのように全てを直接指揮することはできなくなり、スタイル変更を迫られたのである。 戦史研究に熱心なキングは大尉時代に戦役を研究し、「ナポレオン式システムの大きな弱点は、ナポレオンの細かな監督を必要としたことである。 ……ナポレオン戦役の研究から学ぶべき最大の教訓は、反対のことをしなければならないこと、部下たちに独立した行動の訓練をさせることである。 ……ドイツはナポレオン戦役の研究から、部下たちのイニシアティブの原則を発展させ、彼らの全軍事ドクトリンはそれに基づいていた」と結論していた。 さらにキングはCINCLANT命令を出した理由について「最高司令官は、不必要な細事から自由になることによってのみ、彼だけができる事を達する暇を得られる。 ……司令長官は、彼だけが責任を負う将来の部隊展開の立案と全体的な決断に集中する暇がなくてはならない」と説明している。 人物 [ ] 個人的にも日本嫌い、日本人嫌いで知られていたが、一方でにも好印象を持っておらず、特に大戦中はイギリスのアメリカ依存姿勢に批判的であった。 その為、大西洋方面の意思決定会議にキングが参加すると、場が荒れたと言う。 キングは上司からも部下からも嫌われやすい性格の持ち主だったが、海軍士官としての有能さは、彼を嫌う人々でさえ認めざるを得ないものであった。 しかし戦争終盤に元海軍次官で海軍贔屓の大統領が死去して昇格した元陸軍大尉の大統領はキングを嫌っており、海軍長官とも不仲だった。 そのためキングは第二次世界大戦に勝利すると厄介者扱いされた。 海軍史家のはキングを"sailor's sailor"と評している。 上記のように、キングは初級士官時代から部下の水兵掌握に傑出した実績を積み重ねていた。 キングはルーズベルト大統領とノックス海軍長官にCOMINCH就任を求められたとき、「トラブルになるとクソ野郎ども sons-of-bitches を呼びにやる」とコメントしたという伝説がある。 キングは大統領付海軍武官ジョン・マクリー大佐にこれを否定したが、マクリーが初代艦長となった戦艦がルーズベルト大統領一行を、のため乗せていたとき、キングはマクリー艦長に「君の大きな弱点はクソ野郎でないことだ。 よい海軍士官はクソ野郎でなければならない」と言った。 キングは「トーチランプでヒゲを剃る」、「防雷網カッターで足の爪を切る」とも言われた。 またスタークがCNOを辞任したとき、キングが陸海軍協力の障害だと考え、「この戦争に勝つのに役立つかもしれない1つのことは、キングを撃ち殺す誰かを見つけることだ」と日記に書いた戦争計画部長 Assistant Chief of Staff, War Plans Division 准将は 、間もなく、はっきり主張すればキングは話の分かる人間であることを悟って「それ以来、私は海軍に一人の友人を持った」と書くまでになり、北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)で連合国軍最高司令官 Commander in Chief, Allied Force: 略称CINCAF に抜擢されたのはキングの推薦だと後に知った。 参考文献 [ ]• Ernest Joseph King and Walter Muir Whitehill, Fleet Admiral King: A Naval Record New York: Da Capo Press, 1976• Thomas B. Buell, Master of Seapower: A Biography of Fleet Admiral Ernest J. King Annapolis: Naval Institute Press, 2012• Julius Augustus Furer, Washington, D. : U. Government Printing Office, 1959• 『指揮官』(下) (、1974年)• 『』白桃書房、1991年。。 『歴史群像No. 34西洋史面白人物伝 アーネスト・J・キング』学習研究社、1998年• 駄場裕司「第二次世界大戦期アメリカ海軍の指導体制 合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長の職務」『政治経済史学』第670号、2017年10月 脚注 [ ]• King and Whitehill, pp. 47-49, Buell, pp. 20-23. Buell, pp. 39-40. 児島、43-44p• King and Whitehill, pp. 173-185, pp. 195-204, Buell, pp. 67-70, pp. 76-78. Buell, pp. 80-93, p. 568. 児島、45-47p• 児島、45p• Henry H. Adams, Witness to Power: The Life of Fleet Admiral William D. Leahy Annapolis: Naval Institute Press, 1985 , pp. 114-117, John Major, "William Daniel Leahy," in Robert William Love, Jr. , ed. , The Chiefs of Naval Operations Annapolis: Naval Institute Press, 1980 , p. 115, Walter R. Borneman, The Admirals: Nimitz, Halsey, Leahy, and King--The Five-Star Admirals Who Won the War at Sea New York: Little, Brown and Company, 2012 , p. 213, Buell, p. 128, p. 136. Buell, pp. 152-153. Buell, pp. 153-154,• King and Whitehill, pp. 475-476, p. 628, Buell, p. 227. 児島、55p• Buell, p. 498. King and Whitehill, p. 631,• King and Whitehill, p. 636, Buell, p. 502, E. Potter, Nimitz Annapolis: Naval Institute Press, 2008 , p. 293, p. 382, pp. 401-409, p. 428, Theodore Taylor, The Magnificent Mitscher Annapolis: Naval Institute Press, 2006 , pp. 5-6. 正式にCOMPATFORからCINCLANTに昇格したのは2月1日付。 Buell, pp. 114-115, pp. 131-132. King and Whitehill, pp. 81-82. King and Whitehill, pp. 314-315. Samuel Eliot Morison, History of United States Naval Operations in World War II: Vol. 1: The Battle of the Atlantic: September 1939-May 1943 Boston: Little, Brown and Company, 1961 , p. 115. Buell, pp. 420-421, p. 573, Borneman, The Admirals, p. 212, p. 330. Robert H. Ferrell, ed. , The Eisenhower Diaries New York: W. Norton, 1981 , p. 50 March 10, 1942. Dwight D. Eisenhower, At Ease: Stories I Tell to Friends Garden City, New York: Doubleday, 1967 , p. 252. 外部リンク [ ]• 先代: 1940 - 1941 次代: ロイヤル・E・インガソル 先代: 1941 - 1945 次代: (廃止) 先代: 1942 - 1945 次代: 関連項目 [ ]•

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ワンピース45巻より引用 通称 「拳骨のガープ」。 ルフィの祖父であり、革命軍総司令官ドラゴンの父。 ルフィ同様、自由奔放で豪快な性格。 海賊王ゴールド・ロジャーを何度も追い詰めた伝説の海兵。 懸賞金5億超えのドン・チンジャオの頭を凹ませたり、センゴクと共にシキを倒したりと、その実力は本物です。 「老いでパワーが落ちた」と言いながらも、頂上戦争では、元白ひげ海賊団1番隊隊長・不死鳥のマルコを覇気でぶん殴ったり、センゴクと共に黒ひげ海賊団を食い止めたりと、老いた今もその実力は健在です。 「自由にやるのにこれ以上の地位はいらない」として、 大将昇格の話を何度も蹴っており、本来の実力は大将や元帥クラスです。 頂上戦争後は、「海軍中将」の名はそのままで実質職を降り、若い海兵の育成に当たってます。 ワンピース71巻より引用 通称 「追撃のメイナード」。 海軍中将つるやバスティーユとともに、ドレスローザに派遣されました。 ガンビアをボコボコにしましたが、バルトロメオにボコボコにされました。 その他の中将 キャラ 備考 ヤマカジ エニエス・ロビーのバスターコールに参加 ドーベルマン エニエス・ロビーのバスターコールに参加 ステンレス マリージョアの会議でドフラミンゴに操られた ストロベリー 長頭、ジンベエに大怪我を負わせられる、エニエス・ロビーのバスターコールに参加 ラクロワ 巨人族、リトルオーズ Jrにやられる モザンビア マリージョアの会議に参加 キャンサー マリージョアの会議に参加 ギオン 女中将、通称「桃兎」、大将候補だった トキカケ 通称「茶豚」 大将候補だった コーミル 扉絵「エースの黒ひげ大捜査線」に登場 海軍中将以上は、みんな覇気を操ります。 また、六式を体得している者もおり、戦闘力は軒並み高い。 しかし、ガープのような元帥クラスから、バルトロメオに一発 KOされるようなレベルまで、中将の実力の幅はかなり広い。 ちなみに「バスターコール」は、軍艦10隻と海軍中将5人を派遣する攻撃です。 少将 キャラ 備考 ヒナ オリオリの実の檻人間、2年前は大佐、スモーカーと同期入隊 カタコンボ シャボンディ諸島で麦わらの一味の拿捕をハンコックに阻止される シシリー マリージョアでのルフィと天竜人の一件をセンゴクに報告した 准将 キャラ 能力 備考 ブランニュー 2年前は少佐 懸賞金の額を決めている ヤリスギ G-5支部 ダイギン インペルダウン内に入ろうとしたが、サディちゃんに制止された 大佐 コビー ワンピース66巻より引用 剣士。 海軍中将スモーカーの部下。 武器は業物「時雨」。 ロロノア・ゾロの亡き幼馴染・くいなと瓜二つであり、そのことでゾロから迷惑がられています。 無類の刀マニアであり、世界中の業物(最上大業物、大業物、良業物、業物)を集めることを目標にしてます。 六式「剃」や武装色の覇気、見聞色の覇気を操り、戦闘能力は高いが、今までロー、ロビン、モネ、ヴェルゴにやられており、敵に買ったシーンは今のところなし。 その他の大佐 キャラ 備考 Tボーン 通称「船斬り Tボーン」、ゾロに敗北 ベリーグット ベリベリの実の能力者、エニエスロビーでフランキーと対戦 シュウ サビサビの実の錆人間、ゾロの「雪走」を腐食させた シャリングル シャリシャリの実の車輪人間、エニエスロビーでフランキーと対戦 ゴリラ フランキーが起こした「バルジモアの悪夢」事件の調査を行った それ以下の海軍 大佐より下の位は、高い順に、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、准尉、曹長、軍曹、伍長、一等兵、二等兵、三等兵、雑用と続きます。 コビーとヘルメッポは雑用から入りました。 大目付 センゴク ワンピース80巻より引用 元海軍元帥。 27年前は海軍大将。 異名は 「智将」「仏のセンゴク」。 動物系ヒトヒトの実幻獣種モデル大仏。 モットーは「君臨する正義」。 ロジャー時代からガープと共に海軍を前線で引っ張ってきた伝説の海兵。 「智将」の名の通り、戦術に長けており、マリンフォード頂上戦争では巧妙な作戦で白ひげ海賊団を翻弄しました。 また、知性だけでなく戦闘においても優秀であり、ガープとともに黒ひげ海賊団を相手に戦いました。 (ちなみにこの2人は金獅子のシキを撃退しています。 ) 頂上戦争後すぐに元帥の地位を降りました。 「大目付」の立ち位置は特に責任のない気楽な立ち位置なようで、本人はめちゃめちゃ楽しそうです 笑。 科学者 Dr. ということは、実際は、 四皇 >> 海軍本部+王下七武海 なんでしょうねー。 しかし、これは2年前までの話です。 2年間で「青キジ」が抜けてしまいますが、「緑牛」「藤虎」という強大な戦力を海軍は手にしました。 しかもパシフィスタもかなり強化されているようです。 これらを考えると現在だと 海軍本部 > 四皇の一角 くらいにはなっているかもしれません。 四皇のうち2人以上が手を組んで海軍本部を潰しにきたら、結構ヤバイのではないかと思います。 海賊全体の勢力と比べると、大海賊時代の今だと特に、海軍本部は劣ってしまうでしょう。 海軍には覇気使いや強力な悪魔の実の能力者がたくさんいますが、普段は治安維持のために世界中に散り散りになっているのが難点です。 頂上戦争や世界会議(レヴェリー)の時のように、戦力を中枢に集中させすぎると、他が手薄になって海賊に攻められてしまうのも難点の1つです。

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コングの「世界政府全軍総帥」という地位の謎について考察する【ワンピース】

コング 元帥

世界政府全軍総帥・・・世界政府軍を掌握するトップ <海軍> 元帥(げんすい)・・・海軍トップ 大将(たいしょう)・・・総督(そうとく) 中将(ちゅうじょう) 少将(しょうしょう) 准将(じゅんしょう) 大佐(たいさ) 中佐(ちゅうさ) 少佐(しょうさ) 大尉(たいい) 中尉(ちゅうい) 少尉(しょうい) 准尉(じゅんい) 曹長(そうちょう) 軍曹(ぐんそう) 伍長(ごちょう) 一等兵(いっとうへい) 二等兵(にとうへい) 三等兵(さんとうへい) 雑用(ざつよう) 上から順に並べるとこんな感じになります。 各支部は「大佐」以上の階級の人が治めているようです。 海軍は世界政府軍のなかの1つで世界政府全軍を取りまとめているのが総帥コング。 海軍元帥はコングの下になります。 センゴクも強かったですけど、コングってどれほど強いんでしょうか?元・海軍元帥センゴクは頂上戦争の責任をとり、コングに辞任を申し出ますが、後継者育成のため 大目付として海軍に残っています。 現・海軍元帥は赤犬サカズキ。 センゴク元・元帥、ドレスローザにきていましたがアロハでだいぶゆるゆるでしたね~。 もうすっかりおじいちゃんです。 それだけ海軍元帥としての責任は大きかったんでしょうね。 海軍主要メンバーの出世早見表を作ってみたので、ここで各メンバーの出世具合を見ていきたいと思います。 (出世早見表をリニューアルしました。 藤虎、緑牛、ヒナ、コラソン等を付け加えています。 コラソンは海軍中佐で殉職しています。 早見表には入れていませんが、 1巻でコビーに海軍入隊を許可し、ルフィとゾロを見逃したのは第153支部リッパー中佐(当時)。 ベガバンクの研究所警備担当だったのがゴリラ大佐。 アニメSP「ワンピース~アドベンチャー オブ ネブランディア~」のコーメイは知将・コーメイ中将です。 11巻ローグタウン、アラバスタぐらいのスモーカーって大佐なんですけど、ゴリラ大佐に限らず他の大佐たちとおなじ階級とは思えない。。。 パンクハザードでのたしぎちゃんも大佐です。 たぶんスモーカーの実力は中将並みですよね。 上の言う事を聞かないのでなかなか昇進できなかったタイプです。 きっと。 最近やっと自由に動くために上にいこうとしてる感じ。 頂上戦争後のコビーも大佐に昇格しています。 45巻ウォーターセブンで曹長だったのでそこからスピード出世です。 82巻でヒナも久々登場しました。 ビビたちをマリージョアへ送り届ける任務のようです。 そういえばヒナはアラバスタあたりが管轄でしたね。 82巻では少将に昇格しています。 まとめ ・海軍階級制度は8巻と45巻に掲載 ・世界政府全軍総帥が軍のトップ ・海軍トップが海軍元帥 ・同じ階級でも大佐クラスなど力の差が結構ある 関連記事.

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