グローバル 化 問題 点。 第1節 途上国の開発問題

グローバル化の問題点とは?例え話でわかりやすく!

グローバル 化 問題 点

1.本懇談会の趣旨について 文部科学省においては、従来より初等中等教育分野、高等教育分野、国際教育協力分野、その他個別の分野におけるグローバル化への対応や国際化について、中央教育審議会を始めとする様々な場で議論が行われてきた。 本懇談会は、いかにグローバル化に乗り遅れないようにするかというこれまでの観点に加え、グローバル化がもたらす問題を含む諸課題に対する教育分野における日本型の対応を横断的に探り、政策の選択肢を増やすことに資する検討を行っていただき、提言を得ることを目指す。 2.グローバル化に関する整理 (1)グローバル化とは 「グローバル化」とは、情報通信技術の進展、交通手段の発達による移動の容易化、市場の国際的な開放等により、人、物材、情報の国際的移動が活性化して、様々な分野で「国境」の意義があいまいになるとともに、各国が相互に依存し、他国や国際社会の動向を無視できなくなっている現象ととらえることができる。 特に「知」はもともと容易に国境を越えるものであることから、グローバル化は教育と密接な関わりをもつ。 さらに「国際化」はグローバル化に対応していく過程ととらえることができる。 教育分野では、諸外国との教育交流、外国人材の受入れ、グローバル化に対応できる人材の養成などの形で、国際化が進展している。 (2)グローバル化と市場主義 グローバル化の進展とともに、政策上の課題や社会問題に対する対応策は政府によるものよりも市場原理に任せた方がよいとする動きも広がった。 これにより市場開放と自由貿易が進展し、競争主義が浸透するとともに、小さな政府や地方分権が指向されるようになった。 我が国では、教育分野において、高等教育における評価に基づく競争主義的施策が導入されたのに続き、初等中等教育分野においても評価の導入が進んできている。 また初等中等教育の行政面において地方分権が進んだ。 さらに高等教育においては、国立大学の法人化や競争的資金の拡充といった変化をもたらした。 (3)グローバル化と教育の関係 知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなどの知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させるとともに、製造業等の海外移転による国内雇用の変化をもたらしている。 また、異なる文化との共存や国際協力の必要性を増大させている。 また、事前規制社会から事後チェック社会への転換が行われており、社会経済の各分野での規制緩和や制度改革が進んでいる。 これらを背景に進展している競争社会において、自己の能力を発揮し社会に貢献するためには、基礎的・基本的な知識・技能の習得やそれらを活用して課題を見いだし、解決するための思考力・判断力・表現力等が必要である。 しかも、知識・技能は、陳腐化しないよう常に更新する必要がある。 生涯にわたって学ぶことが求められており、学校教育にはそのための重要な基盤づくりの役割も期待されている。 同時に、「共存・協力」も必要である。 このような社会では、異文化を背景に持つ者や自然と共に生きることができる寛容な精神を涵養することが求められる。 また、グローバル化の中で、自分とは異なる文化や歴史に立脚する人々と共存していくためには、自らの国や地域の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付けることが重要になっている。 3. 具体的な論点例 (1)グローバル化が進展する中で日本で教育を受ける利点 グローバル化が進展する中、我が国で教育を受ける利点とは何か。 日本の教育の強みと課題は何か。 それは、日本で生まれ育つ者や留学生にとってどのような意味をもつものなのか。 日本で教育を受けた者はグローバル化する世界でどのような役割を担うのか。 (2)グローバル化する世界の中で文化の多様性を尊重し受け入れる寛容な姿勢を育むための国際教育交流・協力 グローバル化に伴い、地球規模での相互連結性が高まり、異なる文化・文明の接点が大規模に広がっていく。 このことは異なる倫理観・価値観の間での摩擦を生み出す危険性が高まっていくことを意味している。 このため、異なる文化・文明を理解、尊重し受け入れる寛容さが国際的な摩擦を緩和し、平和な国際社会を維持する上で重要となる。 また、たとえ、文化・文明が異なる国や地域に属していても、共有できる倫理観や価値観があることに気づくことも同様に重要である。 このような精神的寛容さを培い、共通の倫理観・価値観を確認するためには、実際に異文化・文明に属する人びとと接触する機会を増やすことが重要であり、国際教育交流を通じた取り組みが必要である。 このような観点からどのように国際教育交流を進めるべきか。 (3)世界共通の価値観や世界規模の課題に対応する姿勢を育むための国際教育交流・協力 グローバル化が進展する中、世界共通の価値観や世界規模の課題に対応する姿勢を育むことが重要である。 特に、地球温暖化問題をはじめ、様々な環境問題が複雑化、深刻化し、環境面からの持続可能性への配慮が大きな課題となる中、持続可能な社会の構築に向けた教育の理念がますます重要になっている。 我が国が、ESDの地球規模での推進に貢献できるよう、どのように国際教育交流・協力を進めるべきか。 (4)世界における日本の人材育成の役割 グローバル化の進展は、経済発展を促し、人々に新たな機会をもたらす一方、富の偏在化や国境を越えた気候変動、感染症、テロ、経済危機の拡大といった地球規模の課題への対応も迫るものである。 それらは、世界の資源に依存する日本を含む国際社会の安定と繁栄を脅かし、開発途上国ではより深刻な脅威となっている。 グローバル化に伴って途上国が直面する多様な課題の解決に、日本が行っている教育の強みを生かした人材育成はどのように貢献できるのか。 (5)国際教育交流・協力を推進する上での中長期的指針 これまでの国際教育交流・協力政策の中には、相手国からの要請に基づいて実施されてきているものも多く、必ずしも我が国の中長期的な政策に沿って展開されてきているわけではない。 限られた人的・財政的資源の中で有効な国際教育交流・協力を推進していくためには、グローバル化の進展への対応も含めて我が国として、どのような方針の策定が必要か。 (6)グローバル化が教育に投げかける課題と対応の方向性 グローバル化に伴う市場主義や競争主義の進展とともに、教育分野にどのような影響や課題が生じているか。 課題の一つと考えられる機会の平等の確保と格差の是正を日本の教育においてどのように実現することができるのか。 なお、持続可能な発展とは、「環境と開発に関する世界委員会」が1987年(昭和62年)に公表した報告書で取り上げられた概念であり、将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような発展を指し、環境の保全、経済の開発、社会の発展を調和の下に進めていくことを目指している。 なお、ESDは当初「持続可能な開発のための教育」と訳されていたが、日本ユネスコ国内委員会の提言(2008年2月)を受け、国内におけるESDの普及促進のため、「持続可能な発展のための教育」と訳し、「持続発展教育」の略称を用いている。 お問合せ先.

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現代政治の問題点

グローバル 化 問題 点

1.グローバル化への対応の遅れ 日本の少子化に伴う市場規模の縮小やBRICs諸国などの新興国市場の拡大により、世界経済における日本市場の相対的な位置付けは縮小している。 一方、新興国を中心にグローバル市場が急速に拡大しているが、新興国市場への日本企業の対応が他の東アジア諸国や欧州の企業に比べ出遅れている傾向が見られる。 この結果、携帯電話などのエレクトロニクス分野等では、我が国のシェアが低下する傾向にあり、日本市場の相対的な位置付けが低下する中で、グローバル化への対応が急務となっている。 このようなグローバル市場への対応の遅れの要因のひとつとして、他の東アジア諸国の企業に比べ、グローバル戦略が欠如していることが挙げられている。 また、研究開発においても、我が国研究者については、近年、海外における長期滞在を伴う経験が年々減少し、内向き志向が指摘されるなど、グローバル化への対応が遅れており、台湾やインドに見られるような海外との人材ネットワーク(特に世界のイノベーションセンターである米国とのネットワーク)の形成が十分ではなく、このようなネットワークを構築していくことが必要である。 このように我が国のグローバル化への対応が遅れている背景としては、国際社会で伍してビジネスや研究開発を行うことのできる人材の不足や、グローバルな視野を持って技術経営ができる人材が不足していることが挙げられる。 このため、今後、グローバル対応を進めていくためには、国際社会における公用語である英語の力はもちろんのこと、ネットワークを形成し、リーダーシップをとるために必要となる交渉力やコミュニケーション能力を有する人材が必要である。 また、研究者等の海外研鑽機会の拡大や海外経験者の活用などが不可欠である。 2.我が国の産業の現状と課題 (1)新たなイノベーションモデルへの対応の遅れ 現在、我が国は自動車や精密機器など、これまで我が国が得意としてきた「すりあわせ(ブラックボックスでの作り込み)」の強みを活かせるクローズドで垂直統合型の産業や、素材・部品・製造装置などの産業においては依然として大きなシェアを占めている。 しかし、従来日本のものづくりの柱であったエレクトロニクス産業のように、近年、国を超えたオープンな水平分業の流れが急速に進んでいる産業で競争力が低下しているなど、我が国の産業が新たなイノベーションモデルに十分対応できていない状況にある。 また、従来垂直統合型の産業であった精密機械等の産業にも、オープンな水平分業の拡大が予測されるとともに、競争優位を有する素材・部品・製造装置分野の産業においては市場規模が小さく、製品関連市場全体のイニシアティブをとるに至っておらず、必ずしも利益率が高くないといった問題もある。 このため、我が国の企業としても、中核技術を確立するとともに、水平分業型や垂直統合型などから最適なイノベーションモデルを想定した戦略的な世界標準の獲得や、新興国の企業も取り込んだ製品製造システムの構築など、技術、知的財産、標準、国際連携等を一体的に進める戦略的な取組が必要となっている。 また、我が国のものづくりの強みは卓越したプロセス・イノベーションに大きく依拠してきた。 一方、近年、東アジア諸国等が技術をキャッチアップしプロセス・イノベーションにより追い上げを図っていること等を踏まえ、欧米においてはプロダクト・イノベーションを重視しており、我が国においても、プロダクト・イノベーションを実現するために組織や評価の体制の在り方など、イノベーションマネジメントの在り方を検討する必要がある。 このほかに、競争力を高めるためには、iPodのように、技術イノベーションとアイデア・コンセプトとの融合、さらにはブランド・イメージの積極的活用等も併せて、グローバルにシェアの獲得を目指すビジネスモデルを確立することも重要である。 さらに、サービスを含め、最終利用者を指向した製品構想力の強化を図っていくことも課題と考えられる。 (2)新たな産業における不振等 90年代以降勃興してきたIT、バイオのようなサイエンス型産業において、我が国は強い国際競争力を保持しているとは言えず、例えば米国に対して医薬品やソフトウェアが輸入超過状態であるなど、米国に大きく後れを取っているのが現状である。 また、サービス分野においても、ITサービスの成長率が米国のみならず、欧州に比べても低い状況に代表されるように、欧米諸国に比べて生産性が低い点や国際展開に乏しいなどの問題点が存在している。 今後、成長が期待されるこれらの産業分野における我が国の国際競争力を高めていくことが求められる。 また、バイオ等の分野では安全審査等の規制により実用化までの相当の時間を要するという問題が指摘されており、今後の課題となっている。 図:我が国主要産業の国際競争ポジション 資料: 産業構造審議会 産業技術分科会 第23回研究開発小委員会 資料5(資料:富士キメラ2006年推計、JEITA「電子情報産業の世界生産動向」、(社)日本半導体製造装置協会資料から経済産業省作成)に加筆 (3)国際競争力の低下 これまで述べてきたこと等を背景として、我が国の国際競争力は、製造業の世界シェアの低下や全要素生産性の伸びの低下、IMDランキングの低下に代表されるように全体に低下傾向にあると指摘されている。 国際競争力とは、国民に高水準の生活を可能とする所得をもたし得る生産性により表されるものであり、競争力の目的が国民の繁栄にあることにかんがみると、国全体としての経済の大きさではなく、1人当たりの生産性(例えば1人当たりGDP)と考えられる。 国全体の生産性(競争力)を向上させる要素としては、主として労働力寄与、資本寄与、技術革新を含むイノベーション等が挙げられる。 しかし、少子化や自国市場の縮小などが進むと見込まれる我が国において、今後、労働力や資本の寄与を期待することは難しい。 我が国が生産性を向上させるためには、技術革新を含むイノベーション等を図っていく他に道がなく、国を挙げて科学技術・イノベーションを推進することが不可欠である。 図:主要国の経済成長率 資料:EU、KLEMS 3.我が国の研究開発システムの現状と課題 (1)研究開発のオープン化等への対応の遅れ これまで、我が国の企業は、「自前型」、「垂直統合型」の研究開発システムの下、多くのイノベーションを成し遂げてきた。 しかし、近年は、研究開発投資の増大等から、「自前主義」など垂直統合型の限界も見え始めている。 このような中、我が国においても90年代まで成功してきた「自前型」、「垂直統合型」のみに拘らず、研究開発のオープン化に対応することが必要となってきている。 我が国においても、企業の社外支出研究費割合が増加するなど、アウトソーシング型を中心に研究開発のオープン化が進んでいるものの、過去の官民による共同・連携型のオープン・イノベーションの試みにおいては、一部のプロジェクトで成果が見られるものの、成功例が少ないとの指摘がある。 我が国において共同・連携型のオープンな研究開発がうまく進まない要因としては、「共同・連携型」研究開発の対象となるべき「非競争領域」(営利活動から遠く外部機関との情報共有や共同が障害とならない基礎研究等の領域)が明確でなかったために、企業等が「お付き合い」として参画する傾向があったとの指摘がある。 このため、今後は、基礎研究等の非競争領域を明確にした上で、大学等を中心とした企業が本腰を入れたオープンな「共同・連携型」研究開発と、競争領域におけるクローズドな研究開発の使い分け、各々の研究開発の性格に応じた研究システムの構築が課題である。 (2)研究成果と実用化(イノベーション)をつなぐ仕組みづくりの遅れ 我が国においては、大学等の研究の成果を基に製品を開発するなどして実用化に至るまでの過程において、大企業の研究開発のリスクを分担するベンチャー企業の不全や産官学をまたぐ人材流動性の欠如等により、いわゆる「死の谷」部分の取組が弱いとの指摘がある。 このため、今後、基礎研究からイノベーションへの一貫した支援、特に開発段階の施策の弱さ(公共調達、公的機関によるバックアップの弱さ等)や円滑な技術移転等を可能とする大学、研究開発法人、民間企業間の人材交流の少なさなどの課題に対応していく必要がある。 また、公的研究機関等の基礎研究の成果を事業化するベンチャーの少なさ、企業における新陳代謝の少なさ、機関を越えて人が移動する人材流動性の少なさなど、社会システムの硬直性の問題があるとともに、異業種・異分野の人材の交流が少ないといった課題もある。 さらに、我が国においても、米国がベンチャー制度に人材サポートシステムを取り込んだように、何からの形でイノベーション型人材をサポートし、その能力を最大限発揮させるシステムを構築する必要がある。 (3)サイエンス型産業や新興・融合分野におけるイノベーションの遅れ 我が国においては、諸外国と比べサイエンス・リンケージが少なく、製品開発における最先端の科学の応用が遅れている可能性がある。 また、サイエンス(科学)への依存が強い産業である「サイエンス型産業」では、国際競争力は強くないことなどの課題がある。 さらに、地球環境問題のような極めて複雑な問題等に対応していくためには、分野融合などの全く新しい視点からの取組が不可欠であるが、これまでの我が国のシステムが新興・融合分野の研究を十分に促すことができなかった反省に立ち、これらの分野の活性化を阻害しないような研究費配分における工夫や、新たな研究分野の活動の強化への支援と人材育成など、施策を多角的に展開していくことが必要である。 その際には、将来の規制や知財・標準化、社会インフラや、その技術が進展した際に社会に与える影響やリスクへの対応などの社会受容性にも留意することが重要である。 図:技術分野別のサイエンス依存度(米国特許中の非特許文献引用の割合、2000-2005、米国出願人) 資料:長野委員 お問合せ先.

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グローバル化と教育に関して議論していただきたい論点例:文部科学省

グローバル 化 問題 点

日本の食から肉食が排除されているのは、タンパク質を魚や豆類で十分に摂取できる環境があったからだとされ、そのバランスのよい摂取が日本人の食の特徴であったとも主張される。 では、日本人には肉食は不要なタンパク源だったのだろうか。 日本人は肉をまったく食してこなかったわけではない。 森林の多いこにの列島にはシカやイノシシなど多くの動物が棲息していたから、これらの動物が重要なタンパク源であったことは十分に想像できる。 縄文人は狩猟民であったし、弥生人も銅鐸の図柄にも見られるように狩猟に従事していた。 わたしたちの遺伝子にも肉食への渇望が確実に刻み込まれていることは明らかである。 それなのに、肉食が日本人の食習慣から排除され、粗食を伝統とする発想が支配的になったのはなぜだろうか。 この国の食文化の不幸は、肉食を禁じられたところに始まる。 稲作を神聖視し、その対極として肉食を禁じたところにはじまる。 日本人、とりわけ庶民は豊かな食材を前にしながら「食することの」自由を奪われた歴史上まれな人間集団であった。 そのような支配の下で、日本人はほんとうに米と野菜と魚による食に甘んじていたのだろうか。 そうではなかったろう。 さらに言えば、アイヌや沖縄の伝統食はいったいどのように評価すべきなのだろうか。 粗食を日本固有の文化とする人たちの主張はあまりに狭い。 明治の近代化以降、肉食に対する制限も制約もなくなったかに見えるが、実際には権力的な強制から市場原理による強制に取って替わられたにすぎない。 例えば、クジラを食することは、わたしの世代にとっては貧しい人びとに市場によって強制された肉食であった。 捕鯨船団による南氷洋捕鯨は安価な肉製品の「生産」そのものであった。 それは食の工業化とグローバル化の先駆けであったともいえよう。 現在、世界中の食材を安い価格で食せるという見せかけの自由の享受の背後で、高い輸入依存度と工業化率が複合した最もリスクの大きい食が強制されている。 BSE問題はまさにそのリスクを端的に示している。 食することの自由、安全なものを自ら選び取れる自由を手にするためには、学ぶことから始めなければなならない。 遺伝子組み換え食品、環境ホルモンが人類や生物に与える影響、記憶に新しい大阪府堺市を中心にした大腸菌O157中毒の大量発生や雪印乳業大阪工場の食中毒事件のような大規模で広域的な事件は言うに及ばず、食中毒の発生は季節を問わず日常化している。 国外に目を転じると、ヨーロッパを中心に狂牛病や口蹄疫が蔓延し、畜産業が深刻な経営危機に追い込まれているだけでなく、肉食というヨーロッパ食文化の根幹そのものが揺らいでいる。 過食と偏食の傾向が強まる中で健康食品への依存が増えている。 人間の基本的営みである「食」から「自然」が急速に奪い去られつつある。 大規模な事件が起きるたびにヒステリックな汚染源と責任者探しが展開され、消費者はそれにあおられてパニックに陥っている。 たいていはこの探索は失敗するか、責任者の処罰もなく終わる。 食しているものが本当に安全なのか、この不安とリスクの原因は何なのか、その答えはいつも明快に示されないままである。 不安の背景にあるものは明らかである。 食料が自然と直結した「農産物」であることをやめて、「工業製品」と同じように工場で製造され供給される仕組みに、私たちの生活がはめこまれてしまったことだ。 食料の生産と供給も以前は都市の周辺の農漁村との安定的な循環の上に打ち立てられていた。 いまでは世界じゅう至る所で農産物が生産され、加工され、輸入される。 食料のグローバル化が進んでいるのだ。 消費者には生産と流通の仕組みが見えなくなり、どこで生産されたのか、どのような土壌でどのような農薬を使ったのか、ほとんど知らされることはない。 汚染源や責任者など、消費者にはわかるはずもない、知らされているのは、スーパーやコンビニでいつでも安く手にはいり、手軽に食せると言うことだけだ。 私たちは確かに「食」の工業化とグローバル化によって低価格と利便性を手にできた。 しかし、まさにそのことによって、これまでに体験したことのない生活と生命に対するリスクに直面しているのである。 21世紀を迎え、地球環境危機の克服に真摯にとり組むことが急務となっている。 そのためには、どうしてもモノの作り方だけでなく、生活そのものも革命的見直しが必要になる。 この世紀はあらあゆる生活要素のインプットを、環境に負荷を与えないか、本当に生活の質を向上させるものかを基準に判断する時代になる。 もはや経済的効率と価格だけが基準の時代ではないのだ。 この時代の最重要課題である「食」の危機の克服のためには、生活を市場原理にまかせっぱなしの受動的なもから、安全なもの、質の向上に資するものを再び選び取る主体的生活態度を取り戻さねばならない。 また、かってのような地域に根ざした生活様式を作り出さねばならない。 「食」を市場原理の支配から解放し、地のもの、旬のものを食すること、工場製食品の使用を減らして素材から自分で調理する生活態度と時間のゆとりを取り戻すこと、そこに環境の時代に生きる豊かさの核心がある。 工場製食品がもたらす食と健康の危機を解明した前作に続いて、本書では工場製ビタミンを対象にし、その過剰摂取がもたらす害を鋭く暴き出している。 そこに紹介されている食の風景と合成ビタミンの普及の状況は、そっくりそのまま日本にも当てはまる。 それどころか、日本ほど食にかかわるリスクが日毎に深刻になっている国はないのではないかとさえ、考えさせられる。 かってこの国の食文化は豊かで健康でバランスのとれた食事、あますところなく調理し、食する態度によって世界に知られ、日本食は世界の模範とされてきた。 沖縄の食にいたっては、世界最高の長寿食として注目を浴びている。 この国の食材が海外に大きく依存するようになっても、この評価が維持されていたのは、日本人の食材を見抜く力と、バランスのよい組み合わせを作り出せるセンスのおかげであった。 その食文化がいま、急速に崩れはじめている。 食が自然と直結したものではなくなり、食材が工場生産され供給される「食の工業化」の流れに、私たちの食生活はまるごと飲み込まれはじめている。 工場製食材が家庭料理になかで主流を占め、外食の比重も急速に高まっている。 「食のグローバル化」も急速に進んでいる。 周辺諸国の低賃金労働力を利用して海外で食材加工が進み、魚の切り身からホウレンソウのおひたし、大根おろしに至るまで日常の食卓を飾っている。 このような現実に対応して食材製造や輸入に携わる企業の倫理感は低下し、不正表示は日常化している。 伝統的食文化からと切断されて味覚を失った若者が増えている。 伝統食を忘れ、食の手抜きに精を出す家庭人が増えている。 異質の食文化が生まれている。 飽食の時代といわれるが、それは美食とは到底言えない性質のものだ。 質の悪い食品で胃の腑を満たし、食の廃棄物を増やす、食い散らかしの時代でしかない。 まさに「食の貧困化」の時代としか表現しようがない。 どのような内容の食材を食しているのか、それがどれほどの栄養価を持ち、どれほどまで安全なのか、誰にもわからない。 だから、質の悪い飽食と歩調を合わせて、不安感が醸成され、「手作り」「無添加へ」への奇妙なまでの渇望が高まる。 サプリメント、機能性食品が急速に普及するのも当然のことであろう。 日本人の食は「食の工業化」「食のグローバル化」がもたらす「リスク連鎖」に確実に絡め取られつつあるのだ。 この国の現実を見るとき、合成されたものの過剰摂取を戒め、天然食材を可能な限り利用してバランスよく食すること、適度な労働と運動を勧める本書の主張に、私は大賛成である。 ただ、日本の「食のリスク連鎖」に絡め取られいる度合いは、ヨーロッパよりもはるかに深刻である。 日本の実情をふまえてさらに厳しい警告が発せられなければならないと思う。 21世紀には「食のリスク連鎖」が地球規模で拡大する世紀になることは避けられないだろう。 この世紀には、地球人口の爆発的増加と都市への人口流入が進み、食糧供給能力との不均衡が拡大している。 水や耕作に適した土地の不足も深刻になる。 気候変動は農業や漁業にも深刻な影響を与える。 地球環境保全の努力が格段に前進したとしても、増大する人口に十分な栄養を保障することは難しく、食の工業化とグローバル化は避けられない。 天然食材への回帰を主張するだけでは、解決策にならないのは明らかである。 課題は、そのような工業化の状況下で「生活の質」をどのように維持できるかである。 この国はかって深刻な公害問題を体験したことによって、一転して公害防止策で世界をリードするようになったが、それと同じように、この国がおかれている深刻な状況への反省が強まれば、地球規模の「食のリスク連鎖」の解決で先駆的役割を果たすことも可能ではないだろうか。 そのためには、何よりもまず、日本の食が直面しているリスクを学習しなければならない。 そして、実際に体験によってそれを確かめることが必要である。 食材を原産地、栄養価、添加物の有無を自分で吟味して、手間暇かけて調理すれば、見てくれはよくなくても、それがどれほど美味であるかを体験できる。 外食よりも家庭で栄養のあるおいしいものを食べられる。 「地球の視野で考え、身近なところから行動しよう」、これは地球環境問題への対応策のありかたとしてよく引用されるスローガンである。 食の危機への対応はまさにこの通りなのである。 私たちは、そのことによって食の危機だけでなく地球環境全体の保全にも貢献できる。 レトルト食品1袋あたり、あるいはカロリー、ビタミンあたりの物質・エネルギー集約度を想像してみたらよい。 家庭で料理する方がはるかに環境効率がよいはずだし、包装その他の廃棄物も大幅に削減される。 食のあり方を再考することは、地球環境に対する最重要の貢献でもあるのだ。 (ハンス・ウルリッヒ・グリム/イェルク・ツィットラウ著、花房恵子訳『ビタミンショックー暴かれた害と効用ー』家の光協会、2003年11月、「監訳者あとがき」) [ contact us ] Copyright C Focus on Globalization. All Rights Reserved.

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