空気人形 ネタバレ。 映画「空気人形 」ネタバレあらすじと結末・感想|起承転結でわかりやすく解説!

空気人形

空気人形 ネタバレ

それらの表現を不愉快に思われる方は見ない方が無難でしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 心を持ってしまった空気人形の行末と、その隣人達を描いた忙しない都会の一篇の寂しい詩篇です。 切ない映画ですが、とても素敵ですね。 監督というよりは制作に関わったスタッフが精鋭揃いだったのか、場面場面が可愛さや清浄さに懐かしさも漂わせて凄く綺麗です。 特に美術とか衣装デザインとか、ロケ地の選定、カットの構図とそれらの枠内の色合いが神がかっています。 (時間帯や室内、あるいは屋外の様々な場所の雰囲気に演技する登場人物の位置までも考えられてバランスさせた様な色あいの場面を、一部では無く、映画のかなり広範囲に渡って成立させています) 例えば、14分から辺りのどこかのチャイムが聴こえる、暮れかかった屋上の空気感だとか、59分の店内の造花と奥にある店外のラベンダーの色合いのコントラストとか、40分辺りで自分で自分に空気を入れるのぞみの絵等、色彩感覚が凄く素晴らしいです。 何気無い背景も絵的に自然と様に成るような場所を選んでいますし、色んなシーンで主人公の衣装は周りと調和する様に見事に合わせられていて、主人公の清々しい植物的なプレーンさがそれを可能にしていますね。 こころを宿してしまった空気人形のぞみを演じたペ・ドゥナの辿々しい日本語も役に合っていて、彼女が 公園で出会ったおじいさんから聞かされて覚え、その拙い言葉で語る吉野弘の詩、「生命は」が都会でそれぞれの 苦しみや悲しみに葛藤しながら日々をやり過ごす隣人たちの姿にかぶせて流されると詩の意味がじんわりと伝わって来てなんとも言えない気持ちになります。 空虚な朝のゴミ捨て場のエンディングがとても印象的な映画でした。 子供のころ、ビックコミックに載ってた本作を読んだとき、衝撃を受けたのを覚えています。 いまでもラストシーンの衝撃は覚えているんだけど…映画版はいろいろと描写が薄いような気がします。 主人公の女の子が、この役のビジュアルとピッタリだったから、この子をキャスティングしたと予想しますが、 空気人形を無理やり無垢な女の子にしようとしていないかな?って疑問に思いました。 無垢だから、演技力の低い棒読みちゃんでもOK!みたいな。 でも、原作の空気人形は、無垢な印象を受けた記憶がありません。 期待してただけに、残念です。 ぜひ、映画を観た方には読み切りの原作を読んでいただきたいです。 そして、ラストシーンが綺麗でないことを知って欲しいです。 この映画の主人公は、俗にダッチワイフと呼ばれる空気式の人形。 彼女はある日突然、自我を持って動きだす。 黙って寝てれば人の役に立つのに、何かしようとすると失敗ばかり。 Regina Spektorが『Folding chair』という歌の中に込めたであろう祈りと同じものを感じる。 でも正直、「空気を抜きたい」という純一の気持ちが分からないというか、ド変態にしか見えず、たぶん一番真剣なシーンでちょっと笑ってしまった。 フェチズムを満たす映像としては逸品なのだが…観た人の解釈を聞きたい。 理解力が乏しいだけなのか、何を言わんとしているのかが全く分からないまま終わってしまいました。 冒頭部のネタバレ含みます。 悪しからず。 等身大の風船人形がなぜか突然心を持つ。 で、なぜか人間チックな外見になり働く。 で、けがをして空気が抜ける(空気人形だから当然とはいえ、見た目人間、皮膚がそんなに簡単にやぶれるかぁ?)のだがそれを見た同僚は平然とパンク修理をする。 こういった意味不明な展開を素直に受け入れられる方なら面白いと思えるのかもしれません。 それがファンタジーなんだ、と言われればそれまでです。 エンディングに近いあたりから音楽を工夫(?)すれば、完全にホラーで終われる、といった結末。 明るい音楽だったのでそういう気配を消そうと努力したんだろうという意図はわかる気がしますが、じゃぁなんでそんな結末にしたのか?無知=狂気としか受け取れません。 なぜか途中から蚊帳の外の最初のオーナーが教育すればいいじゃん、真っ白の心だからスポンジのように何でも吸収できるじゃん、まっとうなことを教えてやれば狂気にはならないじゃん、と思えて仕方ありません。 とっても深い意味があるんだよ、的に視聴者を考えさせるのが目的とすれば、自分のようなお気楽視聴者は見る価値なしと思います。 ヒロインはとてもきれいで可愛かったのが唯一の救いです。 エロさを抑えた演出だけは良かったです。

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空気人形(ネタバレ)

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街中を歩くと、無数の人とすれ違う。 その中で、その人にはその人の幸せや悩みがあって・・・なんていちいち考えてたら、その途方もない情報量の多さに、たちまち都会から逃げ出したくなってしまう……。 それでも、孤独な一人ひとりが実は誰かと深くつながっていて、そのつながりで自分の命が生かされているという実感ができたら、なんて幸せなことだろう。 『誰も知らない』でカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞し、名実ともに国民的映画監督となった是枝裕和監督が挑んだ新作『空気人形』。 同映画祭の「ある視点」部門に出品された本作は、ある男の性欲の対象として使われていた「人形」に生命が宿った時に生まれた物語だ。 甘く切ないファンタジーでありながらも、今を生きるぼくたちに深い問いを投げかける名作となっている。 劇場公開を直前に控えた是枝監督に、作品についての想いを伺った。 この作品は監督の中でも長年あたためていらしたそうですが、制作に至った経緯を教えてください。 是枝監督(以下、是枝):この作品の原作となった20ページほどの短篇マンガがあって、それを読んだ時に、いつか映画にしたいな、って思ったんです。 空気でふくらませたビニールの人形に生命が宿って、その女性がビデオ屋で働いている途中、釘に身体をひっかけて人形の「皮」に穴が空いてしまうんですね。 それを店員の男の子が見つけて、空気人形であったことに驚きながらも「大変だ!」と空気を吹き込んでいく。 そのシーンがものすごくエロティックで、これは面白い作品がつくれるんじゃないかと思いました。 他人の息を吹き込まれて生きる、というところに表面的なエロさではなく、もっと深いエロさがあったというか……。 是枝:あそこが一番エロくないとダメな映画なんです。 それまでのヒデオ(板尾創路)とのセックスシーンは、ヒデオだけのもので、自己完結している。 息を吹き込むっていうところが一番コミュニケーションになっていて、だからエロいんです。 その「コミュニケーション」というキーワードが、この映画の中でも大きなものとして描かれていたように思います。 是枝:空気人形の彼女が人間になっていく過程で、他人の息で生きていくようになる。 それまでは自分でポンプを使って空気を入れていたのに、他人に息を吹き込まれることで満たされていくっていうのが、とても大きな体験だったわけです。 他人によって満たされる人形と、他者を必要としなくなっている人間(空気人形と暮らす男性・ヒデオ)を、対比的に描けるといいなと思いました。 是枝:彼女にしてみれば、ポンプを捨てないということは、永遠が保証されてしまって、同じことが何度も繰り返されるということなんですよね。 ポンプを捨てたことで全てのことが1回限りの体験になるから、実はそのことがすごく楽しいわけですよ。 全てのものは初めてであり、最後である。 それって素敵なことだと思うんです。 イベント情報 『空気人形』 9月26日(土)よりシネマライズ、新宿バルト9,他、全国順次ロードショー 出演: ペ・ドゥナ ARATA 板尾創路 オダギリジョー ほか• プロフィール 是枝裕和 1962年、東京生まれ。 87年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。 主にドキュメンタリー番組を演出し、現在に至る。 95年、初監督した映画『幻の光』が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞等を受賞。 2作目の『ワンダフルライフ』(98)は、各国で高い評価を受け、世界30ヶ国、全米200館での公開と、日本のインディペンデント映画としては異例のヒットとなった。 04年、監督4作目の『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞し、話題を呼ぶ。

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映画【空気人形】感想

空気人形 ネタバレ

ネタバレ! クリックして本文を読む かなり前に一度観て、良かった記憶がありこの度再視聴。 空気人形と言い換えてあるも、主人公はいわゆるラブ・ドール。 そんなラブ・ドールののぞみが「心」を持って…というほんのりファンタジー。 (好きな作品なんだけど主人公が主人公だけに若干人に薦めづらいのよね…。 ) 個人的良かったポイント ・まずもって主演のペ・ドゥナがめちゃくちゃ魅力的。 この作品、画面の切り取り方や、小道具、衣装も可愛くてそれだけでキュンキュンくるんだけど、やっぱり主演のペドゥナちゃんが本当に人形みたいでものすごく可愛いのだ。 あんなに細くて本当に人形みたいな人いる!? ヌードも披露してるけど、この作品においてはいやらしさより無機質さと美しさが勝るのすごいよな。 そしてヌードシーンよりも官能的なのがジュンイチから空気を吹き込まれるシーンなのだ。 ・時代や人の心の空虚さと空気人形を重ね合わせるのはうまいなあと思う。 ・この作品、びっくりするくらいセリフが少なくて、全編通してゆったりとした静かな雰囲気。 その分登場人物たちの動きや表情に語らせているのがすごいなあと思う。 ・改めて観たら出演俳優陣かなり豪華。 柄本佑さんや星野真里さんのあんな使い方。 人形職人役でオダジョーが出てきたときは嬉しかった。 優しい眼差し、素敵だったなあ。 あとジュンイチにのぞみが空気を吹き込むシーンは切なくもあり、軽くホラーでもあった。 切ないはずなのに戦慄。 ネタバレ! クリックして本文を読む 11年前の作品。 原作は未読。 なので改めてDVDを鑑賞してのレビューを試みる。 実は、今作は1回も映画館でスクリーンを鑑賞していないのである。 当時はCMで、主演のペ・ドゥナが小部屋内の天井に吊された太陽系惑星達の模型らしきもの(ビニール風船)と戯れるカットが印象的だった位のみに記憶していた。 その後、DVDで始めて観たきっかけが思い出せないのである。 そして1位にした理由も忘れてしまった。 粗筋までは忘れてはいないが、どんな詳細な感想を抱いたのかさえ朧気である。 唯々、映像が透き通っていて、もの悲しい、そして唐突な展開の驚きのみが心に沈殿していた。 原作は未読ながら漫画家業田良家自体は『自虐の詩』の作者としては存じ上げていた。 大変哲学的な内容であり、人間の本質を鋭く抉る画風は、是枝監督も食指が動いたのであろう。 なのでストーリー展開としてはそれ程難しくはない。 勿論、細かい設定描写の穴は露呈しているし、その穴を埋める想像力、又はスルー力を持ち併せないと本作を愛する事は不可能であろう。 赤子のように自我が芽生える順序は飛んでしまっているし、始めからある程度の知恵が混入されているのは、そもそも人形だったときからの持主由来の知識を蓄えていた所から、生命そのものを封入されたのではなく、能動的に身体を動かす事により、その意味を探求していくという方向が正しいのかと思う。 そして作中に映っているそれは空気を必要としないシリコン製の精巧な人形。 進化を自ら封印してしまった男のよすがは物言わぬ人間の形を成したビニールのみ。 そのうら悲しさと不気味さは抑えても滴り落ちる艶な演技で負の本能を表現している。 ビニールが軋む音は何とも言えない堕落さを醸し出している演出だ。 そして、雨粒から心を封入された人形を演じる裵斗娜(ペ・ドゥナ)の裸体の美しさは誰もが魅了されるだろう。 パフィーニップル気味の乳房だけでも、ロリータを彷彿させる幼さを表現せしめている。 人形としての残骸である、繋ぎ目の線や手が冷たい事、そして呆け気味の言動も、いかにも人形やロボットに心が宿ったらこうなるだろうと想像し易い演出であり演技をしっかりこなしている。 そしてここからは、「私は心を持ってしまいました 持ってはいけない心を持ってしまいました」と何とも悲しいモノローグが挿し込まれる、人間との世知辛い現実に塗れる。 そして夜は気の乗らない持ち主とのお夜伽。 そんな辛い経験を積みながらも、それを忘れるかのように、綺麗なもの、輝くものを探しに当てもなく彷徨う覚束なさもしっかりと観ている者に届く。 作品は、薄いが群像的構成にもなっており、身寄りのない男女の老人、メイド美少女マニア、受付嬢の年増OL、過食症の女、そして訳ありの父娘のそれぞれの現状を淡々と差込まれる。 メインのレンタルビデオ店員との恋愛の危なっかしさも相俟って、それぞれの繋がりが重層的にサスペンスフルに昇っていく。 その演出のアイデアは、勿論原作由来とはいえ秀逸だ。 彼の息で体中が満たされる具体的愛情表現を見せられたことでこれ以上ない多幸感のクライマックスを、あの部屋の中の星の風船との戯れのカットで浴びるのである。 尚且つ、正体がバレても余り動じない彼の何気ないが意味深の言葉『僕も同じようなものだ』が、この先の重要なキーワードとして楔を打つことをどれだけの観客は気付けるだろうか。 ここから潮目が変わる。 ストーリー構成としてこれ程の『禍福は糾える縄の如し』を演出した緻密さは素晴らしい。 警官による自転車のタイヤへの空気入れ、お爺さんの言葉『蜉蝣は卵だけが詰まっていて、その他は空っぽ、胃もない』は、影が差してくる展開を素直に表現している。 勤め先の店長からの恐喝まがいの強制性交、彼の元カノのお古のヘルメット、持ち主が新しく購入したラブドール。 意を決して持ち主との対面で、自分の存在価値を確かめても、そこには愛情は無く単なる性欲処理としての立場を突きつけられる悲しい事実。 これでもかと人形に不幸が降り注ぐシーンの連続に居たたまれなさが加速してゆく。 次の行動は少々説明不足が否めないが、自分を作った創造主 神であり親 である人形制作者に逢いに行き、救いを求めるのは、人間の信仰心を表現したものだろうか。 『君が見た世界は悲しいものだけだった?美しい綺麗なものも少しはあったかな?』の台詞は人形を今一度気付かせ、思い出させてくれる。 そして愛する彼の元へ向かう原動力を、空気のように注入される。 だが、彼との性愛は齟齬が存在していたという又一段落ちる悲恋の演出。 しかし彼の息で満たされる喜びには勝てない人形は、その生死を彷徨う危険なゲームに身を委ねてしまう。 それは愛する彼への無償の奉仕。 そのお互いの意識のズレが、前半のフリの回収を、この奇妙でエロティックな濡れ場?の後に仕込んでいるのである。 人形は全てを理解していない。 愛する男の言葉をストレートに信じた挙げ句、男の腹を割いて自分も愛されたように愛したいという衝動を実行に移すのだ。 ストーリー展開としての白眉はここに極まる。 この切なさがスクリーン一杯に溢れ出て、悲しみが支配する中で、身寄りのない件の老人二人が邂逅し、そして最後迄物語と交錯しなかった過食症の女が、ラストに人形を眼下に、本心からの「綺麗」という言葉を吐く。 今作品は、声高に何かを訴えることはない。 醒めた目で淡々と俯瞰したカメラの目が、それぞれの登場人物を追う。 劇中で参照されていた吉野弘著『生命は』の一節は、今作のテーマをしっかりと提示している。 それは「生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい」の節に現れている。 私もあなたも誰かのための虻だったし、風だったかもしれない。 それは今の時代に於ける格差社会、分断社会を痛烈に非難し、その処方箋を提示しているようにも思えるのだ。 繋がりの具体的な線は意識しなくてもよい、繋がりそのものの本質が意識出来ていれば、人間は救い合える。 人形の目を通したこの社会を見事に描いた今作の印象深さを改めて堪能できた事に感謝したい。 命があることとないこと、心があることとないことのデメリットとメリット。 空っぽの人間は愚かで、満たされる人形は何ともうらやましい。 ただ心を持った人形の心が空っぽになったとき、これ程残酷なことはない。 自ら選択してゴミになったとき、命ある空っぽな人間たちの心が少しだけ、ほんの少しだけ満たされる。 人間は選択してゴミになることは出来ないのだから、なんとかして生きていかなくてはならない。 ペドゥナがはまり役すぎる。 顔、スタイル、喋り方、全てにおいて完璧。 キャスティングにセンスあり。 人形から人間になる時の描写や映像がすごい。 リアルに感じる。 空気を入れる時はなんとも妖艶で、彼が空気を入れたい、と思うのも分かる気がする。 ネタバレ! クリックして本文を読む 主役のペドゥナが本当にきれい。 細くて、でも女性らしく柔らかそう。 私はペドゥナの身体を性的に見ることはできなかった。 きれいすぎて、そうやって汚してはいけないような気になる。 心を持ってしまったのぞみが秀雄のキスを拒むシーンがよかった。 自分が性欲処理の道具だとわかっていても、好きな人ができたらその人以外に触れられたくない気持ちが表情から伝わってくる。 それでも秀雄との夜中の散歩?を見られてしまった店長のセックスは拒めなくて、受け入れるしかなくて。 このシーンもペドゥナの表情がよかった。 なにもかもすべて達観してる顔。 冷めた表情と店長の盛り上がりの差が激しい。 純一とのベッドシーンは、純一がのぞみの空気を抜いたり入れたり、まるで殺しては生き返らせての繰り返しのような行為にのぞみの顔がほてるのがせつない。 そして心を持ってしまったときから変わらない純粋さで「今度は私が空気を入れてあげる」とセロハンテープまで用意してお腹に穴を開けてしまう。 純一は燃えるゴミで、自分は燃えないゴミだと教えられた通りにする無垢さがまた眩しかった。 映画を通してすごいと感じたのは、ペドゥナのまばたきの少なさ。 ゴミ捨て場に横たわるのぞみがまばたき1つしないのは本物の人形のようで生々しかった。 何回も見たいとは思わないけれど、でも見てよかったと思える作品でした。 ネタバレ! クリックして本文を読む 当時、プチ韓国映画ファンでペ・ドゥナファンだったのに、日本でもあっけなく脱いだ。 たしか『復讐者に憐れみを』でも脱いでるのですが、ヌードだけ記憶に残ってない。 なので、是枝監督や一緒に風呂に入ってた板尾創路をうらめしく・・・いや、うらやましく感じたのは言うまでもない。 やっぱり美しいドゥナちゃん。 しかも撮影がリー・ピンビンということもあってか、美しい映像のオンパレード。 ふぅーっと息を吹きかけるシーンだけでメロメロになってしまいます。 シネマサーカスという小さなレンタルビデオ店でバイトすることになってしまった空気人形のぞみ。 店員の純一(ARATA)に恋をしてしまい、見知らぬ映画についても徐々に知識を増やしていく姿がまた面白い。 『仁義なき戦い』推しの店長もいいし、ドンランド・ギメリヒ監督「西暦2万年」のポスターも笑える。 寺島進が汚職警官の映画を好きなところも、テオ・アンゲロプロス作品を探す客も興味深い。 そんな映画オタクぶりをも発揮した是枝監督。 純一が映画のクイズを出すところで、『ブラック・レイン』!と答えようとした瞬間、のぞみの空気が抜けるというショッキングなシーン。 その時のセロテープが最後まで貼ってあるのも微笑ましかった。 後半はどことなく群像劇的な描かれ方が施され、心を持ってしまった人形と世の中に失望している人間との対比が面白い。 そして空気入れを自ら捨ててしまい、ご主人が新しい人形を購入。 世の中には美しいものばかりじゃないんだ・・・と悲観したかどうかまではわからないものの、儚い命を自らの意思で生き抜こうとまで考えたのだと思う。 そして純一とのロマンス。 彼もまた空気の出し入れを楽しむ変態プレイがお好みだったのか・・・と、のぞみが彼のお腹からも空気が出るんじゃないかと子どもじみた考えで穴を開けてしまう。 美しいと感ずるのは人によって様々。 幸せを感ずる瞬間も人それぞれ。 オダギリジョーの役柄なんて、可哀そうな男たちに夢を与えてくれるラブドール作りの職業だ。 だけど、そこには不燃物として再利用不可といった暗い現実もあり、最後には星野真里の「きれい」と言わしめるゴミ捨て場ののぞみ。 カゲロウを美しいと思うかどうかも美意識の違いが存在していたし、歳をとることだって・・・ ダッチワイフ映画には『ラースと、その彼女』のように良作が多いのかもしれない。 ただ、この映画にもちょい役で出演している柄本佑も『フィギュアなあなた』で体当たり演技をしているが、こちらはエロすぎてダメだった。 開始後1時間10分くらい、つまらなかった。 そんなアッサリ受け入れる!?とか、体温問題どうなった??とか、突っ込みどころが多く観るのやめようかと思ったけど、ペ・ドゥナさんの美しさ・キュートさにだんだんひきこまれた。 のぞみ…いや人形が、風船と一緒に浮くシーン、良かったな。 ぼーっと観てたけど、鮫洲が下心を見せたところの人形の「性欲処理の、代用品。 」のセリフが、「ああ、そうだ。 どれだけ心を持ってそれを通わせても、彼女の中のその本質(?)は変わらないんだ」とゾクっときた。 オダギリジョーさんのセリフが伏線になっているのも良かった。 燃えるゴミ…… 登場人物たちが少しずつつながってたけど、星野真里さんだけはどこで誰とつながってるのか分からなくて…。 丸山智己さんが働く店に来る客ってだけなわけじゃない(はず)よね…….

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