あわ の うた 歌詞。 ミュージック・アワー ポルノグラフィティ 歌詞情報

SILENT SIREN あわあわ 歌詞

あわ の うた 歌詞

におい(にほひ)の意味 「におい(にほひ)」は古語で、「色合い、色つや」といった意味で使われている。 清少納言『枕草子』(まくらのそうし)における「におい(にほひ)」の用例は次のとおり。 花びらの端に をかしきにほひこそ 心もとなうつきためれ 意味:花びらの端に、美しい色つやが、ほのかについているように見える。 <出典:枕草子 木の花は> この他にも古文では、美しさ、魅力・気品、栄華・威光などの意味合いで使われることがある。 現代語と同じく「香り・匂い」の意味でも使われる。 さながらの意味 「さながら」は古語で、「残らず全部。 そっくりそのまま。 すっかり。 ことごとく。 」などの意味で使われている。 鎌倉時代の随筆『方丈記』における「さながら」の用例は次のとおり。 七珍万宝(しつちんまんぽう)さながら灰燼(かいじん)となりにき 意味:あらゆるすばらしい宝物が、残らず全部灰になってしまった。 中国の五行説を反映? 余談だが、『朧月夜』2番の歌詞に隠された深い解釈をご紹介したい。 中国の自然哲学「」または「五行思想」では、万物は「木・火・土・金・水」の5種類の元素からなると考えられている。 万物は「木・火・土・金・水」の5種類の元素からなるという「」をふまえ、『朧月夜(おぼろづきよ)』2番の歌詞の一部をもう一度見てみよう。 里わの火影も 森の色も 田中の小路を たどる人も 蛙のなくねも かねの音も 「火影、森、田、カエル、鐘」の5つの要素は、それぞれ「火・木・土・水・金」に対応すると考えられる。 これらは万物の象徴であり、その後の「さながら」を強調する役割を果たしていると推測される。 この万物にはもちろん「人」も含まれている。 本当に作詞者がここまで考えて作詞したのかどうか定かではないが、実際に「」を取り入れた歌詞だったら非常に興味深いところだ。 ちなみに、から影響を受けた日本文化としては、飾りのが特に有名。 月の関連ページ 『月(出た出た月が)』、『炭坑節(月が出た出た)』、『月の沙漠』、『うさぎ』など、月に関する日本の民謡・童謡・世界の歌まとめ 十五夜、望月、十六夜など、夜空の月の満ち欠けとその名前の呼び方・読み方、別名・異名の一覧、意味や由来・語源まとめ 春の関連ページ 『春よ来い』、『春が来た』、『花(春のうららの隅田川)』など、春をテーマとした日本の童謡・唱歌まとめ その他関連ページ 日本人の作曲家による日本独自の楽曲が用いられた文部省唱歌.

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あわの歌 20p 本当の国学としてのヲシテ文献、 『ホツマツタエ(ye)』・『ミカサフミ』・『カクのフミ(『フトマニ』など)』

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「アワのうた」の誕生 天神6代目のオモタル(男神)とカシコネ(女神)の時に、両神(ふたかみ)は全国を巡って農業開発に努力しました。 民の糧も豊かに、政事も行き届いた平和な国です。 残念ながら世嗣子に恵まれず、死後国は再び乱れ無秩序な状態になっていました。 そんな時、高天原(たかまがはら)から指名を受けた、タカヒト君(きみ)とイサコ姫はツクバのイサ宮で愛でたく結婚され、イサナギとイサナミとして即位し7代目の皇位を継承します。 両神は先ず、葦原中国(アシハラナカクニ・滋賀)で、天神から引き継いだ矛(ほこ)をシンボルに生産力の落ちた農業を復活させます。 同時に、国民の言葉が大層なまってお互い通じなくなったのを心配し正そうとされます。 男神・女神は声を合わせ、カダガキ(楽器)をかき鳴らしながら、上 二十四音をイサナギが歌い、下 二十四音をイサナミが歌って音声の標準化を図り、農業普及と共に国の再建をしていきました。 ア カ ハ ナ マ イ キ ヒ ニ ミ ウ ク フ ヌ ム エ ケ ヘ ネ メ オ コ ホ ノ モ ト ロ ソ ヨ ヲ テ レ セ ヱ ツ ル ス ユ ン チ リ シ ヰ タ ラ サ ヤ ワ このサイトはが運営・管理を行っております。 このサイトの転載及び掲載は自由ですが、コンテンツを販売するといったような直接の商用利用はご遠慮ください。 転載・掲載をする場合、までご連絡ください。 また、 出典 株式会社 日本翻訳センター URL: URL: を必ず明記してください。

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中山博のあわうた

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「あわうた」は、日本書紀、古事記よりもさらに古い、日本最古の叙事詩・歴史書ともいわれる「ホツマツタヱ」の中に記された、48音からなる5・7調の歌です。 「あ」=天地の天、父 「わ」=天地の地、母 この「あ」と「わ」の二つの言葉のあいだに、森羅万象のすべてが含まれていると言われています。 それは、「古代やまとことば」で綴られた一万行に及ぶ叙事詩で、今から1900年以上前、第12代景行天皇(ヲシロワケ)に献上されたと言われています。 (宮崎貞行著「アワ歌で元気になる 驚きのコトタマパワー」より) イザナギとイザナミの時代、国の政事(まつりごと:政治・人民の統治、 神・尊への祈り)の衰えが 国民の言葉の乱れ、心の乱れにつながりました。 その 言葉の乱れ、心の乱れを 正しく整えるために、イザナギとイザナミによって作られ、広められたものが、「あ」で始まり「わ」で終わる48音からなる「あわうた」です。 この 「あわうた」を広めることによって人々の言葉、健康、心が整うこととなり、民を安らかに治めることができたといいます。 政事の衰え、言葉の乱れ、心の乱れ・・・ これは、まさに現代の日本や世界の状態に通じるものでもあるのではないでしょうか。 中山博は、あるきっかけから「あわうた」の存在を知りました。 「これを歌わなければ」と思うものの、古代のうたには手本もなければ、師もいませんでした。 自分の感覚を頼りにさまざまな歌い方で歌い、試行錯誤の末に、徐々にある歌い方にたどり着きました。 さらに歌い続けることで歌い方は洗練され、進化し、現在の歌になりました。 「これからもあわうたは進化していくでしょう」と中山は言います。 中山博の「あわうた」の大きな特徴は、「響き」にあるようです。 その響きとは倍音であり、基音と整数倍音、非整数倍音が渾然一体となり、聴くものの聴覚、体感、そしてスピリットまでを響きとして刺激します。 父性と母性、さらに神性さえも感じさせる、その圧倒的ともいえる響きに接すると、涙を流す方も少なくありません。 中山が海外で「あわうた」を歌うと、現地の方々は「あわうた」を聞いたことにより自分に起きた変化や感動を、ストレートに詳細に表現してくれます。 「あわうた」は、いにしえの日本で生まれたものではありますが、 時空や肌の色、文化を超えて、感じ合えるものとなっています。 そこには、 音、響き、言葉などを統合した人類共通の言語が含まれ、中山博によって表現されているのかもしれません。 中山博は、数え切れないほどの回数のあわうたを、単独で、対面で、あるいはその場にいる方々と一緒に歌ってきました。 そのため、一人一人の感覚、状況や状態、求めているものが違うように、感じ方も人それぞれです。 しかし、表現こそ異なるものの、これらの効果は「ホツマツタヱ」に記された「あわうた」の効果と見事なまでに一致しています。 これは、中山が 現代人としての既成概念や価値観を取り払い 、純粋に探求を行う一人のヒトとして、古の存在や環境と 時空を超えたシンクロニシティが起きた成果 であるとも解釈できるのではないでしょうか。 心身の神気・霊気の巡りが良くなり、 病にもかからなければ、 長寿を得ることができます。 あわうたを楽しむためには、2つの方法があります。 それは、聴くこと、歌うことです。 【聴く】ほんとうの「響き」を知る=中山本人のあわうたを体験する 【歌う】あわうたを覚え、自分で歌う=自らが響く 歌うことによる効果は前述の通りですが、 聴くだけでも同様の効果が得られるという声が数多く寄せられています。 良質な音源をヘッドフォンを通じて聴くことは、 中山自身が感じている「響き」を感じるための 最も効果的なあわうたの体験です。 この方法は、中山博もおすすめしています。 歌う時間や場所に制約がある場合であっても、CDやオーディオプレイヤー、カーオーディオで聴くことによって、時間や場所を問わず「あわうた」の響きとともに生活することができます。

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