神奈川 臨海 鉄道。 神奈川臨海鉄道/千鳥線

神奈川臨海鉄道/千鳥線

神奈川 臨海 鉄道

神奈川臨海鉄道株式会社 Kanarin Co. ,Ltd 略称 かなりん 本社所在地 〒210-0007 駅前本町11番地2 川崎フロンティアビル7階 : 設立 事業内容 鉄道事業、倉庫業、不動産賃貸業 代表者 代表取締役社長 村山 洋一 資本金 13億7650万円 (2019年3月31日現在) 発行済株式総数 275万3000株 (2019年3月31日現在) 売上高 32億9648万4000円 (2019年3月期) 営業利益 2億8425万7000円 (2019年3月期) 純利益 1億9179万1000円 (2019年3月期) 純資産 74億5437万1000円 (2019年3月31日現在) 総資産 87億9432万5000円 (2019年3月31日現在) 従業員数 347名(2019年4月現在 ) 決算期 3月31日 主要株主 39. 概要 [ ] 川崎市の臨海部に設けられたの塩浜操駅(現在の)を拠点として沿線の企業の貨物輸送を行うために1963年に設立された。 JR貨物(当時は)と沿線の自治体・企業などが出資する方式の鉄道事業者を特にといい、その臨海鉄道会社としてはに次いで2番目に設立されたものである。 川崎市にある・では・などのを中心に、横浜市にあるでは20フィート・40フィートを中心に取り扱っている。 1995年からはJRから浮島線末広町駅まで川崎市の輸送列車「」を運行している。 かつては他に川崎市にを持っていたが、接続するがすべて廃止されたため、末期は実質的に非営業線となっていた。 開業当初より、自社線の運輸営業のほかにJR貨物の貨物駅などの現業機関の業務受託を行っており、これまでに川崎貨物駅、、、梶ヶ谷貨物ターミナル駅、、、の構内入換、また、、新鶴見機関区川崎派出、、川崎車両所塩浜派出で貨車の検査などの一部業務を受託している。 鉄道業のほかには、業や貸しビルなどのも行っている。 また、グループ会社として陸運業の神奈川臨海通運が存在する。 歴史 [ ]• (昭和38年)• - 設立。 本社は川崎区榎町22番地。 10月19日 - 免許取得。 (昭和39年)• - 国鉄 開業。 同時に 水江線、千鳥線、浮島線開業。 当初11社の既存専用線と接続。 他に川崎工場専用線(同日より塩浜操駅で国鉄線接続)の運転担当開始。 国鉄塩浜操駅の業務受託開始。 3月26日 - 3社の新規専用線と接続。 11月10日 - 同日開業した専用鉄道塩池線(塩浜操駅で国鉄線接続)の運転担当開始。 12月25日 - 本社を川崎区駅前本町1番3号に移転。 (昭和40年)• 2月26日 - 神奈川臨海通運株式会社設立。 7月1日 - 同日開業した国鉄山下埠頭駅と横浜市営公共臨港線の業務受託開始。 (昭和42年)11月15日 - 倉庫営業開始。 当初は野積場での営業。 (昭和43年)8月23日 - 本牧線の地方鉄道免許取得。 (昭和44年)• 7月1日 - 運賃(国鉄線との)を併算制から通算制に改正。 に擬制キロを導入。 8月10日 - 自社所有の塩浜倉庫竣工。 倉庫業に供する。 - 本牧線開業。 (昭和45年)• 5月1日 - の貨物一時保管施設が使用開始。 6月5日 - 本社を川崎区砂子1丁目8番1号に移転。 (昭和48年)9月1日 - 株式会社神奈川臨海鉄道ツーリスト設立(1989年5月25日株式会社リンカイツーリストに商号変更)。 (昭和50年)8月4日 - 神奈川臨海鉄道労働組合結成(同年9月7日神奈川臨海鉄道職員協議会結成、1979年7月28日両者統合し神奈川臨海鉄道職員組合結成)。 (昭和54年)10月1日 - 日本鋼管株式会社京浜製鉄所(川崎区池上町・水江町)への専用線は接続に変更。 塩池線は休止(1981年11月27日廃止 )。 ・発、同製鉄所向けの石灰石輸送列車は水江線経由に変更。 (昭和61年)• 11月1日 - 国鉄塩浜操駅の作業廃止。 構内入換など同駅の業務量が激減。 12月12日 - 蒸気機関車C56 139号機を保存車として国鉄から購入。 (昭和62年)• 2月28日 - 旧・山下埠頭駅(1986年11月1日駅廃止、以後は構外側線)が最終的廃止。 4月6日 - に輸入麦芽積み込み設備が完成。 国鉄山下埠頭駅の廃止代替施設。 向けの麦芽輸送開始。 (昭和63年)3月13日 - 日本鋼管株式会社京浜製鉄所専用線が廃止。 石灰石輸送の廃止により輸送量が激減。 (平成元年)• 4月26日 - 本牧操駅発着の20フィート海上コンテナ輸送開始。 12月31日 - 最後の水江線接続専用線であった川崎油槽所専用線が廃止。 (平成2年)3月10日 - 塩浜操駅を川崎貨物駅に、本牧操駅を横浜本牧駅に改称。 (平成7年)10月6日 - 梶ヶ谷貨物ターミナル駅発、着の一般廃棄物輸送開始。 (平成9年)3月31日 - 味の素株式会社川崎事業所専用線が廃止。 (平成10年)• 2月1日 - 横浜本牧駅発の麦芽輸送が廃止。 3月23日 - 横浜本牧駅発着の40フィート海上コンテナ輸送開始。 12月22日 - 初の自社施工全般検査となったDD5517号機が検査竣工。 (平成12年)• 2月1日 - 横浜本牧駅構内にを設置。 日本の鉄道駅構内としては初。 4月1日 - 神奈川臨海通運株式会社の倉庫業を移管、直営化。 (平成14年)8月1日 - ウェブサイト開設。 (平成17年)8月 - 本牧線開業以来続いてきた国際埠頭株式会社専用線発の工業塩輸送が廃止。 横浜本牧駅構外側線の使用休止。 (平成25年)6月 - 使用休止として残されていた国際埠頭株式会社専用線が、横浜港臨港道路南本牧ふ頭本牧線の高架部工事のため撤去される。 (平成29年)9月30日 - 水江線廃止。 (平成30年)12月31日 - 関連会社の株式会社リンカイツーリストが解散。 路線 [ ]• 川崎市所在• : - 4. 2 km• :川崎貨物駅 - - 3. 9 km• 横浜市所在• : - - 5. 6 km 本牧線は自社線のみで千鳥線・浮島線および廃止された水江線と繋がっておらず、行き来する場合はJR東日本の東海道貨物線・・を介する必要がある。 廃止路線 [ ]• 川崎市所在• :川崎貨物駅 - 2. 6 km 車両 [ ] 保有車 [ ] 神奈川臨海鉄道のディーゼル機関車 車番 入籍 除籍 DB15形 DB151 1964年5月 1972年度 DB25形 DB251 1965年4月 1979年6月4日 DD45形 DD451 1963年10月 1985年4月1日 DD452 1963年10月 1983年10月15日 DD55形 DD551 1963年10月 1986年11月1日 DD5511 1963年10月 1977年9月12日 DD552 1964年10月 1985年4月1日 DD553 1965年9月 1987年3月1日 DD554 1967年6月 1992年11月30日 DD555 1967年12月 1992年11月30日 DD556 1968年6月 1987年12月31日 DD557 1969年10月 1989年3月31日 DD558 1970年9月 1994年3月30日 DD559 1972年4月 2002年3月31日 DD5510 1973年11月 2002年3月31日 DD5512 1974年7月 2005年10月30日 DD5513 1975年10月 2005年5月26日 DD5514 1976年8月 DD5515 1977年9月 2008年 DD5516 1979年3月 DD5517 1981年11月 DD5518 1992年8月1日 DD5519 1994年1月24日 DD56形 DD561 1965年7月 1983年10月15日 DD60形 DD601 2005年3月24日 DD602 2006年8月14日 DD603 2014年 保有車両は全車がで、開業以来すべて新製車で賄っている。 2013年現在は2形式が在籍する。 車体塗色は、当初は赤茶色をベースにクリーム色の太い横帯を配したものであった。 1992年新製のDD5518号機より青地にクリーム色の新塗装を採用し、既存車については後述する自社全検施工時に同じ塗装に改められ 、旧塗装は2005年までに全廃された。 DD60形は、それまでのDD55形とはやや異なる塗装で登場し、DD55形も順次同様の塗装に改められている。 DB15形 開業直後に1両が購入された小型機。 2動軸、自重 15 t。 使用10年を経ずして除籍された。 DB25形 開業翌年に1両が購入された。 2動軸、自重 25 t、定格出力 180 、製。 末期は国鉄山下埠頭駅で使われていたが、業務量の増加に伴い同駅の仕業をDD45形に置き換えられ。 DD45形 開業時に2両が用意された。 4動軸 B-B 、自重 45 t、定格出力 600 PS、富士重工業製。 同じく1963年富士重工業製の DD45形 DD451号機 は同型機である。 1980年代の国鉄の貨物縮小で真っ先に廃車となった。 DD55形 19両が製造された主力車種。 4動軸 B-B 、自重 55 t、定格出力 1,000 PS、と類似の機関車であるが同型ではない。 他の臨海鉄道会社の自社発注機に多くの同型機がいる。 DD5511は同一形式に編入されてはいるが仕様が大きく異なる。 DD551は製、その他の17両は富士重工業製。 初期の車両は廃車が進んでいる。 1990年代に初期車の老朽取替用に導入されたDD5518・DD5519の2両は直噴エンジンとなった。 DD5511 - 開業時に購入された製の試作機関車。 定格出力 1,250 PS。 使用14年でDD5515に置き換えられ廃車となった。 DD56形 山下埠頭駅の開業時に市営公共臨港線の入換用として横浜市が用意した機関車で、横浜市からの借用機であった。 こちらは国鉄DD13形の同型機である。 4動軸 B-B 、自重 56 t、定格出力 1,000 PS、製。 本牧線の開業に際して同線に転属した。 DD452と同時に廃車。 DD60形 DD55形初期車の老朽取替用として導入が始まった新型機。 4動軸 B-B 、自重 60 t、定格出力 1,120 PS、日本車輌製造製。 現在は3両が在籍する。 DD602 譲渡車 [ ] 廃車後、社外に譲渡されたディーゼル機関車は以下の通り。 DD554 - 1992年12月にに譲渡され DD1355へ改番し、「」(1994年運転開始)の・回送用に使用された。 元JR東日本号機の入線に伴い、2004年11月にを行って廃車、同月解体。 DD555 - 1992年12月に東急車輛製造横浜製作所に譲渡され、元国鉄号機の代機として 入換・搬出入用に使用。 2008年廃車。 DD5515 - 上記DD555号機の代機として、2008年8月に東急車輛製造横浜製作所に譲渡。 保存車 [ ] 廃校になったでされていたの C56 139号機を1986年12月12日に国鉄から購入し 、横浜本牧駅の機関車庫内 で静態保存している。 地元のボランティアによって清掃・整備が続けられ、美しい状態が保たれているという。 非公開での保存だが、2013年5月26日の神奈川臨海鉄道創立50年イベントにおいて公開され、ディーゼル機関車による牽引運転の際には、煙の演出を行い、午前と午後の2回に分けて横浜本牧駅構内を往復運転した。 神奈川臨海鉄道創立50年イベントにおいて公開されたC56 139号機、煙の演出を行なって、ディーゼル機関車での牽引運転を開始する直前の写真。 車両基地 [ ] 本牧線派出のものを含む全ディーゼル機関車は、川崎貨物駅構内に所在する に所属する(一部車両は派出する形でに所属)。 1998年より機関車のの外注を廃し、自区内において施工している。 それまで全般検査業務は、塩浜機関区近くに所在する森工業に委託していた。 機関区敷地とは道路を挟んで隣接する立地であったものの線路は接続しておらず(森工業は工場敷地内にのみ線路を敷設)、入出場時はクレーン・トレーラー等を使用した搬入出作業が行われていた。 また、検査時に取り外したエンジン・輪軸等の主要機器・部品類の整備は引き続き外注を行っている。 脚注 [ ] []• 神奈川臨海鉄道株式会社. 2019年7月25日閲覧。 - 神奈川臨海鉄道• 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成30年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会• 『神奈川臨海鉄道30年史』 p. 24-25• 『創業20年のあゆみ』 p. 『創業20年のあゆみ』 p. 176• 『神奈川臨海鉄道30年史』 P. 80-81• 『創業40年を迎えて』 p. 135• 『創業40年を迎えて』 p. 138• 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成29年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p. - 2019年2月13日閲覧• 120• 『神奈川臨海鉄道30年史』 p. 『創業20年のあゆみ』 p. 1967年に社名変更。 1974年に譲渡。 『創業40年を迎えて』 p. - 芳賀路の汽笛• 東京工業大学鉄道研究部「1992年度下半期 1992. 1〜1993. 31 私鉄車両のうごき」 『鉄道ジャーナル』1993年11月号(通巻325号)p. 140• 藤岡雄一「臨海鉄道を楽しむ」 『鉄道ピクトリアル』1993年3月号(通巻572号)p. 20-21 参考文献 [ ]• 神奈川臨海鉄道株式会社総務部編さん 『創業10年のあゆみ』 神奈川臨海鉄道、1973年• 神奈川臨海鉄道株式会社企画部編さん 『創業15年のあゆみ』 神奈川臨海鉄道、1978年• 神奈川臨海鉄道株式会社企画部編さん 『創業20年のあゆみ』 神奈川臨海鉄道、1983年• 神奈川臨海鉄道株式会社社史編集委員会編纂 『神奈川臨海鉄道30年史』 神奈川臨海鉄道、1993年• 神奈川臨海鉄道株式会社社史編集委員会編纂 『創業40年を迎えて: 最近10ヵ年のあゆみ』 神奈川臨海鉄道、2003年 外部リンク [ ] に関連するメディアがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

次の

独特な雰囲気がある神奈川臨海鉄道の沿線を歩きました。珍しい踏切や使われていない線路も。

神奈川 臨海 鉄道

神奈川臨海鉄道水江線 神奈川臨海鉄道水江線 神奈川臨海鉄道の1つ「水江線」。 川崎貨物駅から川崎市水江町へと続く謎の線路。 初めてここを訪れたのは2005年頃だったと記憶しています。 水江線と言えば謎の路線として有名。 それは線路の行き着く先には「何もない」からです。 いや、正確には「無くなってしまった」という方がよいでしょうか。 下の写真は水江線の線路が最後まで残っていた時の川崎市水江町。 赤線が線路のあった部分です。 この項では線路のあった時と線路が無くなった時とを比較しながら廃線レポートをしていきたいと思っています。 この水江線の正式な廃止は2017年9月末日となっています。 水江線は川崎貨物駅の一番南側から延びています。 写真の手前が水江線の線路です 2009年撮影。 貨物駅の線路から分岐しはじめたところら辺の様子 2009年撮影。 貨物駅から並行して走っていた道路と同レベルになった所は踏切でした 2009年撮影。 この当時、線路は何処の会社にも繋がっていなかったものの乗務員訓練や錆び取り回送的な物が主で 不定期走行ながら生きている状態でした。 何度か足を運んだものの走行シーンは見られませんでした。 廃止後はご覧のように踏切手前で線路はプッツリと途切れてしまっています 2019年撮影。 遮断機に警報機、及び信号ボックス等は綺麗に撤去され道路上の線路も綺麗に無くなっています。 踏切から水江町の方を向いて撮影したもの 2009撮影。 一直線に線路が続いていた。 しかし2019年に訪問してみると、そこに線路はありませんでした。 線路はそのまま真っ直ぐと延びていて水江町を目指します。 左の水色のフェンスの中は川崎市の水処理センターになっていますが2009年当時は ご覧のように鉄道関係の物も含めて産業廃棄物的な物が線路横に並べられていました。 その廃棄物も綺麗になくなってスッキリとした線路跡地の様子 2019年撮影。 水処理センター横にあった踏切から水江町方面を撮ったもの。 この先は左へカーブしていく 2009年撮影。 カーブを曲がり日本精塩横へ出ていた線路 2009年撮影。 ほぼ同地点から撮影した線路撤去後の日本精塩横のカーブ 2019年撮影。 単線なのに用地がかなりあった。 なので更地になると意外と広く感じてしまう。 線路はここからは水江町へ一直線に続いていた 2009年撮影。 こちらも同じ方向を向いて撮影したもの。 線路が無くなって雑草が生えているが他は変化が無い様。 少し進んだ所の様子。 奥に機回し用の設備が見えている。 線路の両脇にコンクリートの壁みたいのが張り出しているがこの壁は陸地と運河との境界部分になる所。 写真左が水江運河、右手が入江崎運河です。 この壁が突き出ている部分を空から見たもの。 2019年現在のその部分のクローズアップ。 線路のあった所がよく判る。 因みに横にせり出している壁はそのままの状態で残っていました。 丁度運河へ出られる踏切を越えると写真の様に線路は2つに分かれていました 2009年撮影。 乗務員訓練などで走って来た機関車はここで折り返していくことになります。 既に線路などなくなっておりご覧のありさまに。 フェンス横の樹は綺麗になっている様です。 今も残る「工場非常門」の前にあった踏切は2つの線路を跨ぐものだった。 門はあれど線路は無く。 ただし線路跡はコンクリートで埋められた為に「跡地」は確認できています。 機回し設備の奥を撮影したもの。 実はもう線路はすぐそこで終わっていたのでした。 東亜石油入り口にあった踏切。 鉄道用地が非常に贅沢な作りに感じるが・・・ 後述。 東亜入り口の踏切部分は大きく風景が変わっていたが奥の建物はそのまま残っていた 2019年撮影。 東亜石油入口の踏切から線路末端方を望んだもの 2009年撮影。 奥に見える踏切の名称は「三洋酸素踏切」。 いかにも工業地帯らしい名称です 2009年撮影。 近くから同ポジションで狙ってみたところ。 奥が線路末端です。 線路末端部から望遠レンズで川崎駅方面を圧縮撮影。 3つの警報機と遮断機が確認できます。 水江線の廃止決定時の時点では線路はここで終わっていました。 一応「駅」なのでしょうか・・・。 ご丁寧に「水江町駅」という駅名標が立っていました。 2019年現在の「旧水江町駅」と言った所でしょうか。 跡形もありません。 写真は線路末端があった所で奥が川崎貨物駅という構図です。 これだけ見ると水江線は一体何の為の路線なのか!? と思ってしまいますが かつては線路は幾つもの支線をもっており色々な企業へと繋がっていました。 川崎の埋め立ては1938年頃から開始された様で水江は1941年に完成、今の工業地帯を築きました。 下の写真は1960年台初頭の水江町の様子です。 埋め立て完成から約20年が経過した時のものです。 写真に入っている赤線は今回紹介した廃止された線路ですが過去に各企業へ繋がっていた線路を 白線で描いてみました。 物凄い線路の数です。 赤線の左側、大きい建物は日本鋼管 当時 製鉄所。 反対右側は東亜石油と大阪製糖 当時。 その他に日本造船・日本鉱業・出光興産などの各会社に線路が繋がっていました。 上記で鉄道用地が広いと記載していますが当時はこれだけの線路が繋がっていた関係から 分岐部分にもっと複雑な配線があったのではと想像しています。 その名残なのではないでしょうか。 そして気になる廃止の理由ですがどうやら道路の拡張が理由の様です。 川崎港東扇島〜水江町地区臨海道路の整備概要が発表されています。 となると線路が撤去されただけでなく、そこに鉄道が走っていた、ということが判らなくなるくらいの 工事が行われることになりそうな予感がします。

次の

神奈川臨海鉄道とは

神奈川 臨海 鉄道

神奈川臨海鉄道水江線 神奈川臨海鉄道水江線 神奈川臨海鉄道の1つ「水江線」。 川崎貨物駅から川崎市水江町へと続く謎の線路。 初めてここを訪れたのは2005年頃だったと記憶しています。 水江線と言えば謎の路線として有名。 それは線路の行き着く先には「何もない」からです。 いや、正確には「無くなってしまった」という方がよいでしょうか。 下の写真は水江線の線路が最後まで残っていた時の川崎市水江町。 赤線が線路のあった部分です。 この項では線路のあった時と線路が無くなった時とを比較しながら廃線レポートをしていきたいと思っています。 この水江線の正式な廃止は2017年9月末日となっています。 水江線は川崎貨物駅の一番南側から延びています。 写真の手前が水江線の線路です 2009年撮影。 貨物駅の線路から分岐しはじめたところら辺の様子 2009年撮影。 貨物駅から並行して走っていた道路と同レベルになった所は踏切でした 2009年撮影。 この当時、線路は何処の会社にも繋がっていなかったものの乗務員訓練や錆び取り回送的な物が主で 不定期走行ながら生きている状態でした。 何度か足を運んだものの走行シーンは見られませんでした。 廃止後はご覧のように踏切手前で線路はプッツリと途切れてしまっています 2019年撮影。 遮断機に警報機、及び信号ボックス等は綺麗に撤去され道路上の線路も綺麗に無くなっています。 踏切から水江町の方を向いて撮影したもの 2009撮影。 一直線に線路が続いていた。 しかし2019年に訪問してみると、そこに線路はありませんでした。 線路はそのまま真っ直ぐと延びていて水江町を目指します。 左の水色のフェンスの中は川崎市の水処理センターになっていますが2009年当時は ご覧のように鉄道関係の物も含めて産業廃棄物的な物が線路横に並べられていました。 その廃棄物も綺麗になくなってスッキリとした線路跡地の様子 2019年撮影。 水処理センター横にあった踏切から水江町方面を撮ったもの。 この先は左へカーブしていく 2009年撮影。 カーブを曲がり日本精塩横へ出ていた線路 2009年撮影。 ほぼ同地点から撮影した線路撤去後の日本精塩横のカーブ 2019年撮影。 単線なのに用地がかなりあった。 なので更地になると意外と広く感じてしまう。 線路はここからは水江町へ一直線に続いていた 2009年撮影。 こちらも同じ方向を向いて撮影したもの。 線路が無くなって雑草が生えているが他は変化が無い様。 少し進んだ所の様子。 奥に機回し用の設備が見えている。 線路の両脇にコンクリートの壁みたいのが張り出しているがこの壁は陸地と運河との境界部分になる所。 写真左が水江運河、右手が入江崎運河です。 この壁が突き出ている部分を空から見たもの。 2019年現在のその部分のクローズアップ。 線路のあった所がよく判る。 因みに横にせり出している壁はそのままの状態で残っていました。 丁度運河へ出られる踏切を越えると写真の様に線路は2つに分かれていました 2009年撮影。 乗務員訓練などで走って来た機関車はここで折り返していくことになります。 既に線路などなくなっておりご覧のありさまに。 フェンス横の樹は綺麗になっている様です。 今も残る「工場非常門」の前にあった踏切は2つの線路を跨ぐものだった。 門はあれど線路は無く。 ただし線路跡はコンクリートで埋められた為に「跡地」は確認できています。 機回し設備の奥を撮影したもの。 実はもう線路はすぐそこで終わっていたのでした。 東亜石油入り口にあった踏切。 鉄道用地が非常に贅沢な作りに感じるが・・・ 後述。 東亜入り口の踏切部分は大きく風景が変わっていたが奥の建物はそのまま残っていた 2019年撮影。 東亜石油入口の踏切から線路末端方を望んだもの 2009年撮影。 奥に見える踏切の名称は「三洋酸素踏切」。 いかにも工業地帯らしい名称です 2009年撮影。 近くから同ポジションで狙ってみたところ。 奥が線路末端です。 線路末端部から望遠レンズで川崎駅方面を圧縮撮影。 3つの警報機と遮断機が確認できます。 水江線の廃止決定時の時点では線路はここで終わっていました。 一応「駅」なのでしょうか・・・。 ご丁寧に「水江町駅」という駅名標が立っていました。 2019年現在の「旧水江町駅」と言った所でしょうか。 跡形もありません。 写真は線路末端があった所で奥が川崎貨物駅という構図です。 これだけ見ると水江線は一体何の為の路線なのか!? と思ってしまいますが かつては線路は幾つもの支線をもっており色々な企業へと繋がっていました。 川崎の埋め立ては1938年頃から開始された様で水江は1941年に完成、今の工業地帯を築きました。 下の写真は1960年台初頭の水江町の様子です。 埋め立て完成から約20年が経過した時のものです。 写真に入っている赤線は今回紹介した廃止された線路ですが過去に各企業へ繋がっていた線路を 白線で描いてみました。 物凄い線路の数です。 赤線の左側、大きい建物は日本鋼管 当時 製鉄所。 反対右側は東亜石油と大阪製糖 当時。 その他に日本造船・日本鉱業・出光興産などの各会社に線路が繋がっていました。 上記で鉄道用地が広いと記載していますが当時はこれだけの線路が繋がっていた関係から 分岐部分にもっと複雑な配線があったのではと想像しています。 その名残なのではないでしょうか。 そして気になる廃止の理由ですがどうやら道路の拡張が理由の様です。 川崎港東扇島〜水江町地区臨海道路の整備概要が発表されています。 となると線路が撤去されただけでなく、そこに鉄道が走っていた、ということが判らなくなるくらいの 工事が行われることになりそうな予感がします。

次の