ポリーポラリス 肉離れ。 北海道日本ハム・ポリーちゃんがあの声出しの裏側を語る!

「西川選手にさんざんバカに…」 日ハムマスコットが語る“前代未聞”声出しの舞台裏

ポリーポラリス 肉離れ

2017年5月26日、札幌ドームで行われた日本ハム対ソフトバンク戦で、試合前、円陣での声出しを託されたのは日本ハムのマスコットキャラクターであるポリーポラリス。 選手にうながされて、輪に入ったポリーはかなり力を込めて選手たちを激励している。 西川遥輝外野手のリアクションなど、最初から最後まで見逃せないシーンが詰まっているこの動画。 このシーンについて、ポリーから「パ・リーグ インサイト」へメッセージが寄せられ、わずか50秒の動画の裏にあったポリーとファイターズナインの絆を明かしている。 以下は、ポリーポラリスのコメント。 「ちょうどポリーがミートグッバイ(肉離れ)していた頃の動画ですね。 恥ずかしくてちゃんと動画を見たことなかったけど、今見てもめっちゃ恥ずかしい!! あの頃、怪我をしていたので100パーセントの状態ではなく、思うようなパフォーマンスができず毎日悔しくて、自分はみんなの足手まといになっているんじゃないかと悩むこともありました。 そんなときに突然声出し担当に指名されました。 『無理!できない!』と慌てふためくポリーを選手たちは受け入れてくれて、背中を押してくれたこと、今でもよく覚えています。 ポリーたちマスコットもチームの一員として受け入れられているのかなと感じ、とても嬉しかったです。 でも、とにかく恥ずかしかった~!!! 声出し担当は声出しをした試合に勝てば、ゲン担ぎで負けるまで同じ人が声出し担当を続けるのですが、1日目は勝ったので翌日もポリーが声出し担当でした。 さすがに2日目は逃げようとしたけど…捕まりました(笑)。 声出し前のコーチのアドバイスの時から、逃げられないようにベンチ内に捕獲されてました……。 とにかく恥ずかしくて、2日目の声出しのあとは隣にいたレアード選手に思わず抱きついちゃいました。 声出しのあと、西川遥輝選手に何度もモノマネされてさんざんバカにされました!!!!.

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ブリスキー・ザ・ベアーとは

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特徴 [編集 ] 212は、日本ハムが本拠地をに移した時点での北海道の市町村総数であり、「」などの当時のローカル番組のタイトルにも使用されるなど北海道を象徴する数字である。 現在はにより時点で北海道の市町村総数は179まで減少しているが、ファンからの「212を付け続けて欲しい」という要望が多かったためか背番号の変更は行っていない。 随一とも言われるファンサービスの熱心さで知られている。 例えば、試合中や試合前後には必ずファンに対して長時間のグリーティングを行い、他球団マスコットとも積極的にマスコット交流を行っている。 また、オフシーズンやシーズン中でもチームの遠征中などにはこまめに各地のイベントや幼稚園・保育園などを回っており、更に2006年からは「 212物語」と題して球団の北海道移転当時の212市町村を10年かけて全て訪問するという壮大なプロジェクトを開始した。 B・Bの活動がいかに熱心かが窺える。 B・Bのマスコット活動の最も特徴的な点として、日本ハムの公式web及び携帯サイトで自ら手がけている「B・Bコラム」というコーナーがある。 このコラムでB・Bはあえて「職業としてのマスコット」を強く意識した視点からマスコット論を展開しており、その斬新な視点と強いプロ意識に感銘を受け、マスコットに興味を持つようになったというファンも多い。 頭のモヒカンは通常は黒だが、日曜日の出演時はオレンジになる。 また「特別な日」には稀に白に、更にはやのバージョンで登場する事もあった。 にはB・Bの弟「」(通称カビー)が二軍のマスコットとして登場し、一軍マスコットと連動した二軍専用のマスコットは球界初となった。 12球団のマスコットキャラクターの中で1番の俊足でもある [ 要出典]。 また、 [ いつ? ]北海道ローカルのCMにも出演している 、、書峰社書道、など。 来歴 [編集 ] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2018年2月) 誕生 - 2004年 [編集 ]• 秋、日本ハムは新マスコットキャラクターのイラストをアメリカのデザイン会社に発注、名前を一般公募するためキャラクターイラストを一般公開した。 しかし、いわゆるアメリカ的な「バタ臭い」顔のデザインが酷評を受けた。 2003年冬、初代着ぐるみが公開され、イラストとは全く違った仕上がりで徐々に酷評は収まっていった。 2003年 名前が「 ブリスキー・ザ・ベアー」(通称「 B・B」)に決定した。 その他の候補名は、「カムイ」「ホクト」「マックス」「アンビー」「ハマー」「マイティ」「リッキー」「ダイチ」「カイドー」など。 B・B曰く「フルネームよりも愛称(B・B)で呼んでもらいたい」とのことであった。 2003年12月31日 のカウントダウンコンサートにと共に出演し、札幌ドーム初登場を果たした。 2004年 札幌ドームでオープン戦スタート。 2004年 公式戦スタート。 丁寧な試合前後のグリーティングや試合中のパフォーマンスなどで徐々に人気が上昇していく。 2004年 のバラエティ番組「」のコーナー「トリビアの種」において、「プロ野球12球団のマスコットで最も足が速いのは誰か」を調べる企画が行われ、B・Bもで他9球団のマスコット(のレオとのバフィリードは不参加)との100m走に出走してダートながら15秒9の好タイムで他のマスコットに大差をつけ優勝した。 2着が()、3着が()、4着が()、5着が()、6着が()、7着がネッピー()、8着が()、9着が()、最下位が()の順位となっている。 (B・Bはその後、マスコット交流でビジター球場を訪れた際に西武のレオやのクラッチ及びにも100m競走を挑み快勝している)• 2004年 マスコットに対して心ないファンによる悪質な嫌がらせが多い事を嘆き、B・Bの公式サイト内「B・Bコラム」にてマスコットにも人権があるのだという悲痛な訴えを書き込み話題となった。 2004年 ファン感謝デーで「」のテーマ曲をキーボードで演奏、監督とのセッションも披露した。 2004年度の特別賞を受賞した。 2005年 [編集 ]• 2005年 でグリーティングを行い、この日が初代着ぐるみにとって最後の日となった。 2005年 公式戦スタートと同時に2代目の着ぐるみにリニューアルした。 着ぐるみ更新については、後に公式サイト内のコラムで諸事情を公開した。 理由は以下の通りである。 1年3ヶ月間に渡る激しい演技のため着ぐるみ(特に鼻、眉毛、内部)がかなり損傷し、2シーズン目への持ち越しが不可能になった。 初代着ぐるみでは目が小さく視界が狭いことから思い切った演技が難しく、安全性やパフォーマンスの幅を広げるために目を大きくする必要があった。 より多くのファンに受け入れやすいルックスにするため、リアル過ぎる顔立ちを修正する必要があった。 2005年 スタート。 のマスコットが次々に札幌を訪れる。 B・Bもお返しとばかりにセ・リーグの本拠地球場へ出張、またこの日に白モヒカン姿を初披露した。 2005年 戦()に出張、前年の時点では存在していなかったマスコット「クラッチ」との競走が実現した。 結果はB・Bの勝利で、「最も足が速い球団マスコット」の座を守った。 2005年・ で実に4年振りとなる12球団マスコット全員集合が実現する。 B・B自身も白モヒカンで登場した。 2005年11月27日 ファン感謝デーで再度ヒルマン監督とのセッションを披露し、の「ピアノマン」との「大空と大地の中で」を伴奏した。 「大空と大地の中で」はヒルマン監督が日本語で歌い上げ喝采を浴びたが、この曲を歌うようヒルマン監督に勧め、また歌詞の指導をしたのはB・Bであった。 2005年 契約更改され、年俸は総額1000円相当の特大2尾から4000円相当の鮭1尾(での切り身が最大5パック追加、球団が優勝した場合は1kg追加)になり、アップ率はの3. 75倍を抜き去り、チーム最高になった。 2006年 [編集 ]• 2006年1月 それまで不評だったイラストが変更となった。 新イラストはいわゆる「バタ臭さ」が一掃され、2代目着ぐるみに忠実で爽やかなタイプに一新した。 2006年 札幌国際スキーマラソン5kmの部に出場し一般スキーヤーに混じって滑り、29分26秒10の好タイムで383人中2位でゴールし、準優勝となった。 B・Bいわく「前に誰もいなかったので、1位だと思った」と悔しがった。 2006年4月5日 東京ドームでの試合後、バク宙の踏み切りの際左足ふくらはぎを肉離れした。 全治3ヶ月の重傷と診断されるが、翌日には松葉杖をついて登場している。 結局その後も一切の試合・イベントを欠かすことなく出場し続けた。 尚、7月4日の試合からはバク転等のアクロバットを復活させている(B・B本人によると、現在もまだ完治したわけではないという)。 2006年 ファイターズのパ・リーグ1位通過が決定、試合後にヒルマン監督が挨拶中、選手やスタッフと共に、B・Bへの感謝をコメントする異例の計らいを行った。 2006年10月よりの「米チェン」キャンペーンの(北海道ローカル)にのマスコット「ドーレ君」とともに出演した。 2006年~ ・ファイターズ対では初となる完全な形でのマスコット交流を実施。 B・Bはに出張し、2戦目のヒーローとなった選手をお立ち台で祝福した。 札幌ドームでは出張してきた中日のマスコットとパフォーマンスを披露した。 2006年 での・戦にゲストとして登場した(セレッソは、ファイターズの親会社のがユニフォームスポンサーなので)。 2006年 マスコット史上初の複数年となる2年契約に合意、年俸はB・B本人によると「二軍選手以上、一軍半未満」とのこと。 またボーナスとして(2万円相当)を獲得した。 2007年 [編集 ]• 1月2日からは3代目着ぐるみへとリニューアルされ、よりイラストに忠実で、ちょっぴりイケメン度を増した(? )顔つきになった。 変更点は次の通り。 鼻の高さを若干高めに。 眼球部分のデザインを修正。 2月12日 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、49分50秒6のタイムでゴール。 スタートダッシュに成功し、702人中14位の好成績だったものの、B・B本人が目標としていた10位以内には届かず、「登りがきつく、しんどかった。 来年雪辱したい」とのコメントを残す。 の千葉ロッテマリーンズとの開幕戦で、雨天中断時にビジターながらベースランニングとヘッドスライディングを敢行、引退後、諸積のあとを継ぐ選手の出現をマリーンズに促した。 さらに直後、マー君を乗せたを運転、車の運転も出来ることを証明して見せた。 この年の4月から、チェーン大手のの(北海道ローカル)に出演中• のの2000本安打達成時には田中幸にもっと現役を続けてほしいという願いを込めて(?)「3000本安打まであと1000本」というパネルを用意していたが、この日は田中幸がさらに2安打を上乗せしたため手書きで「あと998本」と訂正してから試合後に掲げた。 球団事務所で契約更改交渉を行う(前年に複数年契約を結んでいるため、今回はサインのみ)。 記者会見の席上で、年間観客動員200万人突破(2007年は183万3054人)と、1試合の観客が4万人を超える試合を12試合(2007年は9試合)の2つを、2008年の目標として発表した。 達成されれば、2009年の札幌国際スキーマラソンで25kmの部に出場することを公約した。 なお、大会最長距離の50kmの部への参加は口が開かず水分補給に難があるため、「死んじゃう。 勘弁して」とのこと。 2008年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、45分5秒6のタイムで、585人中6位の自己ベストの成績でゴールした。 事前にコースを3回試走して、ワックス等を準備していたとのこと。 「メチャクチャきつくて周りからの応援に反応する余裕がなかった」とのコメントを残す。 アドバイザリープロスタッフに就任。 札幌ドームで調印式を行った。 B・Bがパフォーマンス時に使用するバットとグラブがミズノ製となった。 契約金額はサケ一年分。 に於いて、球界マスコット初となる単独でのを開催。 サプライズ演出としてピアノのをし、歌声を披露した(「やに出来るなら熊にもできるはず」とのこと)。 観客の前で声を出すという、いわゆるマスコットのタブーとされるものの1つを、コラムに続いて破ったかたちとなった。 球団事務所にて契約更改、前年より微増となる年俸800マスコ(マスコット界の通貨とのこと)で2年契約、今後の目標に「(現在は藻岩山に勝手に住んでいるため)ドームに通える場所に永住の地が欲しい」「自分で作詞作曲してCDを出し、札幌ドームで歌いたい」を掲げた。 2009年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、45分56秒5のタイムで、597人中11位の成績でゴールした。 前年を上回る「45分以内・5位以内」という目標を掲げて練習に励んだが、記録更新はできなかった。 B・Bは「新雪に突っ込んで5、6回転んでしまった。 あれがなければもっと良かったはず。 去年は途中で休んだりしたけど、今年はノンストップで行けた。 持久力が上がっている。 来年は特注ゴーグルとか、対策をいろいろ考える」とのコメントを残した。 写真集『B・B Photo Book RUN』発売。 - ISBN 9784894534957• 戦(札幌ドーム)で開催されたイベント「ファミリーシリーズ~さくらまつり~」に合わせて、ピンク色のモヒカンを初披露した。 以降、このピンクモヒカンは、212物語のロケや(があったり、の咲く町を訪問)、デーに開催された戦()でも使用されている。 対ロッテ戦で雨天中断中にベンチ内でのパフォーマンス、コールド宣告後にはロッテのマスコット、COOLとベースランニングを披露、翌日にはを運転する。 特別大使第1号に任命された。 ・ 札幌ドームで開催された及びに於いて、マスコットの出場イベントを全面的に企画・立案、プロデュースし、当日は進行役も務めた。 シーズン最終戦で、試合前にピアノ(キーボード)で国歌を演奏。 で、球界の発展に寄与したとして日本野球機構スタッフ部門賞に選出・表彰を受ける。 212物語の映像をまとめたDVDを発売した。 2010年 [編集 ]• 帯広で行われたミルク&ナチュラルチーズフェア2010にゲスト出演。 料理の腕前を披露した。 (この日のメニューはオムレツだった。 フロンティアコースでのタイムトライアルに後述する札幌国際スキーマラソン出場に向けたアピールを兼ねて出場し、150メートルのコースで41秒の成績でゴールした。 札幌国際スキーマラソン25kmの部に出場し、1時間52分41秒0のタイムで533人中115位の成績でゴールした。 今年の目標は順位やタイムではなく、「生きて完走する。 」だった。 2011年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン3kmの部に出場し、15分15秒1のタイムで141人中2位の成績でゴールした。 ゴール後には表彰プレゼンターも務めた。 2012年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、40分57秒3の自己ベストタイムで442人中4位の成績でゴールした。 ゴール後には表彰プレゼンターも務めた。 札幌ドームで行われたファンフェスティバルで妹分としてがデビュー。 札幌市内で行われた優勝パレードに参加した。 2013年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、前年を上回る37分48秒4の自己ベストタイムで463人中8位の成績でゴールした。 2014年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、53分23秒0でゴールした。 「レジェンドシリーズ2014」で、東京時代のマスコットだったギョロタン・ファイティーが限定で復帰、2人と共演した。 2015年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、49分06秒8でゴールした。 の札幌市内ロケで「212物語」の撮影が終了、球団北海道移転当時の212市町村全てへの訪問が完了した。 「レジェンドシリーズ2015」で、東京時代のマスコットだったギョロタン・ファイティーが限定で復帰、昨年に続き2人と共演した。 、札幌ドームでの埼玉西武ライオンズ戦で出場試合1000試合を達成。 達成時点でホーム833試合、ビジター167試合に出場した。 2016年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、51分07秒4でゴールした。 2017年 [編集 ]• 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、49分36秒0でゴールした。 2018年 [編集 ]• 2018年よりメインマスコットの職を(以下・フレップ)に譲り、自身はに北海道150年事業にも参画し「北海道みらい事業」の「みらい大 志」に就任、今後は道内での地域貢献に携わることとなった。 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、50分22秒3でゴールした。 2019年 [編集 ]• 5月26日・27日の両日、負傷したフレップに代わってへ登場 し、ファンとの交流を行なった。 フレップの復帰まで、ポリーと共に今後ホーム・ビジター含めて数試合追加出演した。 7月12日・13日には、マイナビオールスターゲームにも東京ドーム・甲子園球場ともども久しぶりに登場し、こちらもファンとの交流を深めた。 表彰 [編集 ]• 特別賞:1回 (2004年) 脚注 [編集 ]• フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 8』講談社、2004年。 関連項目 [編集 ]• (べびーびー)• (同じく北海道をホームとしているサッカーJ1のマスコット。 イベントなどで共演することが多い。 (B・Bが最も尊敬し、目標にしているJ1のマスコット。 ファンへの姿勢など多くの面で互いに影響を受け、切磋琢磨しあっている B・B曰く唯一のライバルでもある。 現在では親交も深め、春発売のB・B写真集では念願の対談が実現した。 (B・Bの幼稚園訪問「B・Bとあそぼう! 」で共演している、協賛の社マスコット。 ) その他 [編集 ]• 外部リンク [編集 ]•

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ポリーポラリス 肉離れ

この表はテンプレートを用いて表示しています。 編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 2004年から2017年まで北海道日本ハムファイターズのメインマスコットを勤め、2018年には北海道命名150年記念事業「みらい大志」に就任予定。 熊をモチーフとしていて、モヒカン頭が特徴である。 以下、通称であるB・Bで表記する。 特徴 背番号 212は、日本ハムが本拠地を札幌ドームに移した2004年時点での北海道の市町村総数であり、「どさんこワイド212」などの当時のローカル番組のタイトルにも使用されるなど、北海道を象徴する数字である。 平成の大合併により2009年10月5日時点で北海道の市町村総数は179まで減少しているが、ファンからの「212を付け続けて欲しい」という要望が多かったため、背番号の変更は行っていない。 随一とも言われるファンサービスの熱心さで知られている。 例えば試合中や試合前後には必ずファンに対して長時間のグリーティングを行い、他球団マスコットとも積極的にマスコット交流を行っている。 またオフシーズンやシーズン中でもチームの遠征中などにはこまめに各地のイベントや幼稚園・保育園などを回っており、更に2006年からは「 212物語」と題して、球団の北海道移転当時の212市町村を10年かけて全て訪問するという壮大なプロジェクトを開始した。 B・Bの活動がいかに熱心かが窺える。 B・Bのマスコット活動の最も特徴的な点として、ファイターズの公式web及び携帯サイトで自ら手がけている「B・Bコラム」というコーナーがある。 このコラムでB・Bは、あえて「職業としてのマスコット」を強く意識した視点からマスコット論を展開しており、その斬新な視点と強いプロ意識に感銘を受け、マスコットに興味を持つようになったというファンも多い。 頭のモヒカンは通常は黒だが、日曜日の出演時はオレンジになる。 また「特別な日」には稀に白に、更にはリーゼントやアフロヘアーのバージョンで登場する事もある。 2006年にはB・Bの弟「」(通称カビー)が二軍のマスコットとして登場、一軍マスコットと連動した二軍専用のマスコットは球界初となった。 12球団のマスコットキャラクターの中で1番の俊足でもある。 また、現在北海道ローカルのCMにも出演中 野口観光、三菱自動車、書峰社書道、メガネサロンルックなど。 来歴 誕生 - 2004年• 2003年秋、日本ハムは新マスコットキャラクターのイラストをアメリカのデザイン会社に発注、名前を一般公募するためキャラクターイラストを一般公開した。 しかし、いわゆるアメリカ的な「バタ臭い」顔のデザインが酷評を受ける。 2003年冬 初代着ぐるみ公開。 イラストとは全く違った仕上がりで徐々に酷評は収まっていく。 2003年12月11日 名前が「 ブリスキー・ザ・ベアー」(通称「 B・B」)に決定する。 その他の候補名は「カムイ」「ホクト」「マックス」「アンビー」「ハマー」「マイティ」「リッキー」「ダイチ」「カイドー」など。 本人曰く「フルネームよりも愛称(B・B)で呼んでもらいたい」とのこと。 2004年3月 札幌ドームでオープン戦スタート。 2004年4月 公式戦スタート。 丁寧な試合前後のグリーティングや試合中のパフォーマンスなどで徐々に人気が上昇していく。 2004年6月 フジテレビのバラエティー番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」のコーナー・「トリビアの種」において、「プロ野球12球団のマスコットで最も足が速いのは誰か」を調べる企画が行われた。 高崎競馬場で他9球団のマスコット(西武ライオンズのレオ・大阪近鉄バファローズのバフィリードのふたりは欠場)との100m走に出走、ダートながら15秒9の好タイムで他のマスコットに大差をつけ優勝、一躍その知名度を高めた。 ちなみに2着がハリーホーク、3着が、4着、5着、6着、7着ネッピー、8着ホッシー、9着、最下位の順位。 (その後、マスコット交流でビジター球場を訪れた際、西武のレオや東北楽天ゴールデンイーグルスのクラッチ、及びにも100m競走を挑み快勝している為、プロ野球マスコット最速の称号に異論はない。 2004年8月 マスコットに対して心ないファンによる悪質な嫌がらせが多い事を嘆き、公式サイト内「B・Bコラム」にてマスコットにも人権があるのだという悲痛な訴えを書き込んだ事が、Yahoo! のトップニュースなどに取り上げられた。 2004年11月28日 ファン感謝デーで「冬のソナタ」のテーマ曲をキーボードで演奏、トレイ・ヒルマン監督とのセッションも披露した。 2004年度の札幌ドームMVP特別賞を受賞する。 2005年• 2005年3月25日 JR札幌駅でグリーティングを行った。 この日が初代着ぐるみ最後の日となった。 2005年3月28日 公式戦スタートと同時に、2代目の着ぐるみにリニューアルした。 着ぐるみ更新については、後に公式サイト内のコラムで諸事情を公開した。 理由は以下の通りである。 1年3ヶ月間に渡る激しい演技のため着ぐるみ(特に鼻、眉毛、内部)がかなり損傷し、2シーズン目への持ち越しが不可能になった。 初代着ぐるみでは目が小さく視界が狭いことから思い切った演技が難しく、安全性やパフォーマンスの幅を広げるために目を大きくする必要があった。 より多くのファンに受け入れやすいルックスにするため、リアル過ぎる顔立ちを修正する必要があった。 2005年5月6日 第1回日本生命セ・パ交流戦スタート。 セ・リーグのマスコットが次々に札幌を訪れる。 B・Bもお返しとばかりにセ・リーグの本拠地球場へ出張、またこの日に白モヒカン姿を初披露した。 2005年7月2日 東北楽天ゴールデンイーグルス戦(フルキャストスタジアム宮城)に出張、前年の時点では存在していなかったマスコット「クラッチ」との競走が実現した。 結果はB・Bの勝利で、「最も足が速い球団マスコット」の座を守った。 2005年7月22日・23日 オールスターゲームで実に4年振りとなる12球団マスコット全員集合が実現する。 B・B自身も白モヒカンで登場した。 2005年11月27日 ファン感謝デーで再度ヒルマン監督とのセッションを披露し、の「ピアノマン」との「大空と大地の中で」を伴奏した。 「大空と大地の中で」はヒルマン監督が日本語で歌い上げ喝采を浴びたが、この曲を歌うようヒルマン監督に勧め、また歌詞の指導をしたのはB・Bであった。 2005年12月24日 契約更改され、年俸は総額1000円相当の特大ホッケ2尾から4000円相当の新巻鮭1尾(インセンティブでサケの切り身が最大5パック追加、球団が優勝した場合はイクラ1kg追加)になり、アップ率はの3. 75倍を抜き去り、チーム最高になった。 2006年• 2006年1月 それまで不評だったイラストが変更となった。 新イラストはいわゆる「バタ臭さ」が一掃され、2代目着ぐるみに忠実で爽やかなタイプに一新した。 2006年2月12日 札幌国際スキーマラソン5kmの部に出場し一般スキーヤーに混じって滑り、29分26秒10の好タイムで383人中2位でゴールし、準優勝となった。 B・Bいわく「前に誰もいなかったので、1位だと思った」と悔しがった。 2006年4月5日 東京ドームでの試合後、バク宙の踏み切りの際左足ふくらはぎを肉離れした。 全治3ヶ月の重傷と診断されるが、翌日には松葉杖をついて登場している。 結局その後も一切の試合・イベントを欠かすことなく出場し続けた。 尚、7月4日の試合からはバク転等のアクロバットを復活させている(B・B本人によると、現在もまだ完治したわけではないという)。 2006年9月27日 ファイターズのパ・リーグ1位通過が決定、試合後にヒルマン監督が挨拶中、選手やスタッフと共に、B・Bへの感謝をコメントする異例の計らいを行った。 2006年10月よりホクレン農業協同組合連合会の「米チェン」キャンペーンのテレビCM(北海道ローカル)にコンサドーレ札幌のマスコット「ドーレ君」とともに出演した。 2006年10月21日~10月26日 日本シリーズ・ファイターズ対中日ドラゴンズでは初となる完全な形でのマスコット交流を実施。 B・Bはに出張し、2戦目のヒーローとなった選手をお立ち台で祝福した。 札幌ドームでは出張してきた中日のマスコットとパフォーマンスを披露した。 2006年11月23日 長居第2陸上競技場でのJリーグ・セレッソ大阪vs名古屋グランパスエイト戦にゲストとして登場した(セレッソは、ファイターズの親会社の日本ハムがユニフォームスポンサーなので)。 2006年12月27日 マスコット史上初の複数年となる2年契約に合意、年俸はB・B本人によると「二軍選手以上、一軍半未満」とのこと。 またボーナスとしてタラバガニ(2万円相当)を獲得した。 2007年• 2007年1月2日からは3代目着ぐるみへとリニューアルされ、よりイラストに忠実で、ちょっぴりイケメン度を増した(? )顔つきになった。 変更点は次の通り。 鼻の高さを若干高めに。 眼球部分のデザインを修正。 2月12日 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、49分50秒6のタイムでゴール。 スタートダッシュに成功し、702人中14位の好成績だったものの、B・B本人が目標としていた10位以内には届かず、「登りがきつく、しんどかった。 来年雪辱したい」とのコメントを残す。 3月24日の千葉ロッテマリーンズとの開幕戦で、雨天中断時にビジターながらベースランニングとヘッドスライディングを敢行、諸積兼司引退後、諸積のあとを継ぐ選手の出現をマリーンズに促した。 さらに直後、マー君を乗せた軽トラックを運転、車の運転も出来ることを証明して見せた。 この年の4月から、コンビニエンスストアチェーン大手のローソンのテレビCM(北海道ローカル)に出演中• 5月18日の田中幸雄の2000本安打達成時には田中幸にもっと現役を続けてほしいという願いを込めて(?)「3000本安打まであと1000本」というパネルを用意していたが、この日は田中幸がさらに2安打を上乗せしたため手書きで「あと998本」と訂正してから試合後に掲げた。 12月28日 球団事務所で契約更改交渉を行う(前年に複数年契約を結んでいるため、今回はサインのみ)。 記者会見の席上で、年間観客動員200万人突破(2007年は183万3054人)と、1試合の観客が4万人を超える試合を12試合(2007年は9試合)の2つを、2008年の目標として発表した。 達成されれば、2009年の札幌国際スキーマラソンで25kmの部に出場することを公約した。 なお、大会最長距離の50kmの部への参加は口が開かず水分補給に難があるため、「死んじゃう。 勘弁して」とのこと。 2008年• 2008年2月10日 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、45分5秒6のタイムで、585人中6位の自己ベストの成績でゴールした。 事前にコースを3回試走して、ワックス等を準備していたとのこと。 「メチャクチャきつくて周りからの応援に反応する余裕がなかった」とのコメントを残す。 7月26日 ミズノアドバイザリープロスタッフに就任。 札幌ドームで調印式を行った。 B・Bがパフォーマンス時に使用するバットとグラブがミズノ製となった。 契約金額はサケ一年分。 12月15日 に於いて、球界マスコット初となる単独でのディナーショーを開催。 サプライズ演出としてピアノの弾き語りをし、歌声を披露した(「インコや九官鳥に出来るなら熊にも出来るはず」とのこと)。 観客の前で声を出すという、いわゆるマスコットのタブーとされるものの1つを、コラムに続いて破った形となった。 12月26日 球団事務所にて契約更改、前年より微増となる年俸800マスコ(マスコット界の通貨とのこと)で2年契約、今後の目標に「(現在は藻岩山に勝手に住んでいるため)ドームに通える場所に永住の地が欲しい」「自分で作詞作曲してCDを出し、札幌ドームで歌いたい」を掲げた。 2009年• 2009年2月8日 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、45分56秒5のタイムで、597人中11位の成績でゴールした。 前年を上回る「45分以内・5位以内」という目標を掲げて練習に励んだが、記録更新はできなかった。 B・Bは「新雪に突っ込んで5、6回転んでしまった。 あれがなければもっと良かったはず。 去年は途中で休んだりしたけど、今年はノンストップで行けた。 持久力が上がっている。 来年は特注ゴーグルとか、対策をいろいろ考える」とのコメントを残した。 3月6日 写真集『B・B Photo Book RUN』発売。 - ISBN 9784894534957• 5月1日 埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)で開催されたイベント「ファミリーシリーズ~さくらまつり~」に合わせて、ピンク色のモヒカンを初披露した。 以降、このピンクモヒカンは、212物語のロケや(桜並木があったり、芝桜の咲く町を訪問)、デーに開催された広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でも使用されている。 5月5日 対ロッテ戦で雨天中断中にベンチ内でのパフォーマンス、コールド宣告後にはロッテのマスコット、COOLとベースランニングを披露、翌日にはボルボを運転する。 6月23日 札幌市食育特別大使第1号に任命された。 7月23日・7月24日 札幌ドームで開催されたフレッシュオールスターゲーム及びマツダオールスターゲームに於いて、マスコットの出場イベントを全面的に企画・立案、プロデュースし、当日は進行役も務めた。 10月10日 シーズン最終戦で、試合前にピアノ(キーボード)で国歌を演奏。 11月18日 プロ野球コンベンション2009で、球界の発展に寄与したとして日本野球機構スタッフ部門賞に選出・表彰を受ける。 12月13日 212物語の映像をまとめたDVDを発売した。 2010年• 1月24日 帯広で行われたミルク&ナチュラルチーズフェア2010にゲスト出演。 料理の腕前を披露した。 (この日のメニューはオムレツだった。 2010年2月8日 大通公園フロンティアコースでクロスカントリースキーのタイムトライアルに後述する札幌国際スキーマラソン出場に向けたアピールを兼ねて出場し、150メートルのコースで41秒の成績でゴールした。 2月14日 札幌国際スキーマラソン25kmの部に出場し、1時間52分41秒0のタイムで533人中115位の成績でゴールした。 今年の目標は順位やタイムではなく、「生きて完走する。 」だった。 2011年• 2月13日 札幌国際スキーマラソン3kmの部に出場し、15分15秒1のタイムで141人中2位の成績でゴールした。 ゴール後には表彰プレゼンターも務めた。 2012年• 2月5日 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、40分57秒3の自己ベストタイムで442人中4位の成績でゴールした。 ゴール後には表彰プレゼンターも務めた。 11月23日 札幌ドームで行われたファンフェスティバルで妹分としてがデビュー。 11月24日 札幌市内で行われた優勝パレードに参加した。 2013年• 2月3日 札幌国際スキーマラソン10kmの部に出場し、前年を上回る37分48秒4の自己ベストタイムで463人中8位の成績でゴールした。 2014年• 「レジェンドシリーズ2014」で、東京時代のマスコットだったギョロタン・ファイティーが限定で復帰、2人と共演した。 2015年• 8月の札幌市内ロケで「212物語」の撮影が終了、球団北海道移転当時の212市町村全てへの訪問が完了した。 「レジェンドシリーズ2015」で、東京時代のマスコットだったギョロタン・ファイティーが限定で復帰、昨年に続き2人と共演した。 8月27日 札幌ドームでの埼玉西武ライオンズ戦で出場試合1000試合達成。 達成時点でホーム833試合、ビジター167試合に出場。 2017年• 11月26日のファンフェスティバルにて、球場での活動を一区切りとし、2018年よりメインマスコットの職をフレップ・ザ・フォックスに譲り、自身は2018年に北海道が命名150年を迎えることを記念した「北海道みらい事業」の「みらい大 志」に就任、今後は道内での地域貢献に携わることを表明した。 B・Bがもたらした影響• あまり盛んでなかった球場でのマスコット交流が、B・Bの登場を境に増える傾向にある。 特に交流戦期間中を中心にマスコットがお互いの球場を行き来することが多くなった。 これはB・B自身が他球団のマスコットに交流を働きかけたことが大きい。 おそらく、オールスターでのマスコット全員集合もB・Bがいなければ実現することはなかったであろう。 札幌ドームMVP特別賞:1回 (2004年) 脚注• 関連項目• (べびーびー)• ハムリンズ(日本ハム本社のマスコット。 (同じ北海道をホームとしているJ2コンサドーレ札幌のマスコット。 イベントなどで共演することが多い。 (B・Bが最も尊敬し、目標にしているJ1清水エスパルスのマスコット。 ファンへの姿勢など多くの面で互いに影響を受け、切磋琢磨しあっている B・B曰く唯一のライバルでもある。 現在では親交も深め、2009年春発売のB・B写真集では念願の対談が実現した。 ロビー(同じ日本ハムのスポンサーを持っているJ1セレッソ大阪のマスコット。 クィッキー(同じ北海道をホームとしているプロバスケットボールレラカムイ北海道のマスコット。 〔中日ドラゴンズのマスコット。 パオロンと出会うと パオロンコロコロをやることが多い(詳細はパオロンのページに記載)。 (B・Bと同じくプロ野球界のマスコットでは一目置かれた存在であり、人気が高い。 マスコット交流があるとバク転対決を行う。 (B・Bの幼稚園訪問「B・Bとあそぼう! 」で共演している、協賛の社マスコット。 ) その他• 2012年1月現在でのB・Bは歴代3代目の着ぐるみ。 外部リンク•

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