ブラタモリ 浜松。 ブラタモリ 浜松市 浜名湖のウナギ養殖の場所[ロケ地やルート]見逃し動画配信と再放送#152

ブラタモリは楽器の町 浜松!家康と綿花と山葉寅楠 2029.1.25放送

ブラタモリ 浜松

Contents• 突然、駅構内にあるピアノを弾くことになった林田理沙さん。 月の光と、ブラタモリのじゃっじゃじゃっじゃーというのを弾く。 さすがです。 浜松は駅構内に駅ピアノがあるんです。 「浜松は楽器の町、なぜピアノかというと、木材に関係があるんじゃないでしょうか?」とタモリさん。 ナレーション 近頃の浜松は餃子が有名ですが、もともと楽器の町、音楽の町、みんなが気軽に演奏を楽しんでます。 ブラタモリ浜松:東照宮と出世の石 家康が浜松に城を作ったわけ 東照宮にやってきました。 出世の石があって、そこでポーズするタモリさん。 ここに東照宮ができたのは明治になってから。 それまでは、家康にかかわる大事なものがあったんです。 ここにあったのは家康の城でした。 年に数回しかない御朱印をいただけるチャンスです。 タモリさんと富士山に登った方。 この町の生まれだそう。 ずーっと続いている石垣を見ます。 「一直線で崖がある」「断層かな?」 「いえいえ」 「段丘?」タモリさん。 「川が流れてた?」林田アナ。 ここは三方ヶ原台地のへり、天竜川の河岸段丘でした。 今川義元がほろんでから、ここは空白地帯に。 家康は、勢力の強い、武田軍をみはるために、見晴らしのよい河岸段丘の上、浜松に城をかまえました。 ここが浜松が楽器の町になったはじまりです。 ブラタモリ(浜松):島畑で天竜川の洪水があっても綿花の産地に ここで、浜松名産のものがつくられました。 天竜川は暴れ川で、江戸時代250年間に洪水をおこしまくっていました。 江戸時代におこった洪水の回数。 13、30、100というタモリさんは、はずれ。 250回の洪水があったそうです。 毎年ですね。 洪水で流されちゃいます。 温暖な浜松。 家康の領地でつくられたのは、綿花でした。 栽培されている綿花をながめる一行。 洪水に流されない秘策とは? 田んぼの中に島畑というのを作って、高い場所で綿花を作ったのです。 ブラタモリ(浜松):綿花産地に集まってきた織機職人 綿花産地として評判になった浜松には、織機を作る職人もやってきました。 織機を体験する林田理沙さん。 「よくできてますね」 「細かいものをつくるのには技術がいりますね」 「ペダルには通じるものが」 ブラタモリ(浜松):山葉寅楠(ヤマハ クストラ)がピアノをつくりヤマハ創業 「明治時代になってあることが。 林田さんの方がわかるかも」 「フェントンがきて・・軍楽隊の楽器ですか?」それは不正解。 教室にオルガンがきたんですね。 浜松に明治20年にオルガンがやってきましたが、2か月半で故障。 ある人物に修理がもちこまれました。 そのじんぶつは、山葉寅楠。 医療機器の修理工だったが、成功し、ピアノ作りを目指すように。 渡米したあと、独学で明治33年にピアノを作り上げました。 楽器のヤマハの創業者です。 凧といえば、風。 ピアノ作りには、風が大切です。 「風、木材を乾燥させる?」正解のたもりさん。 木材の水分を10%以下にするために、遠州のからっかぜが役に立ったのです。 天竜川が、南アルプスの木材を運ぶのに役にたちました。 ブラタモリ(浜松):ピアノ製作現場へ 薄い板を重ねて曲げて、ピアノの形にしています。 接着剤をぬって、型の中でぎゅっといれこんで固める! 重ねた板が、わくで周囲から固められている映像がうつります。 いろいろな木が重ねられていますが、使う木によって音色がかわります。 今、削る作業をしているのは、もともと宮大工の人。 すごく手間がかかる作業です。 「ピアノは手間かかってるね。 」 林田さんも知らなかったそう。 一台のピアノに3年かかります。 浜松のすべてが詰め込まれています。 浜松は、航空自衛隊発祥の地。 しかし木製では弱いので、金属のプロペラに変わり、金属の加工技術が発達しました。 この金属加工技術が管楽器にいかされました。 トランンペットの工場では、金属をたたいて鍛える音がガンガンしています。 飛行機の技術がここにしています活かされたのです。 トランペットにくわしいタモリさん。 「ピストンの調子もいい」 最後にタモリさんのまとめ 「家康がいなければ、ここはなかった。 綿花になって、楽器になって、飛行機になって、管楽器。 さすが浜松」.

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NHK『ブラタモリ「浜松〜なぜ浜松が楽器の町になった♪〜」』 2月11日再放送

ブラタモリ 浜松

浜松市は、ピアノ・管楽器・電子ピアノ・鍵盤ハーモニカの生産で世界シェア1位という、まさに「楽器の町」。 浜松が楽器の町になった理由を、今回は5つのステップをたどりながら、タモリがブラブラ歩いて解き明かしていく。 オープニングは、浜松駅。 新幹線の駅構内には、浜松市で生産されたピアノがある。 林田アナが、駅ピアノを演奏し、腕前を披露する。 浜松が「楽器の町」になる5つのステップの1つ目として上げられるのが、「ここに家康が浜松の町を作ったこと」。 まず、浜松市の中心部を歩くと、徳川家康をまつる「東照宮」を発見。 さらに周囲には、河岸段丘を利用した石垣がある。 家康は、武田に対抗するために、天竜川の河岸段丘のヘリであるこの地に浜松城を建て、浜松の町が誕生したという。 2つ目が、「家康の領地で綿花を栽培したこと」。 中心地から10kmほど離れた町へ行くと、タモリらは川の近くに小さな高まりを発見。 「暴れ天竜」こと天竜川が頻繁に氾濫するこの地帯では、この「島畑」という高まりで「綿花」を作っていたとのことだ。 3つ目は、「織機をつくる細工大工が集まったこと」。 浜松の綿花で織られた木綿は江戸でも評判となり、大量の織機が必要に。 そのため、複雑な機工をもつ織機を作ることが出来る「高い技術力を持つ大工さん」が浜松に集まってきたとか。 そして、4つ目は「山葉寅楠がピアノ作りに成功したこと」。 明治維新後、アメリカ製のオルガンが浜松にもやってくるが、2か月で故障。 そこで、医療機器の修理工だった山葉寅楠が、細工大工を集めてオルガンを修理。 これをきっかけに寅楠はピアノ作りを志すようになり、国産初のピアノを独学で作り上げたのだそう。 そして最後は「木材と空っ風」。 南アルプスから天竜川で運ばれた木材と、山を越える乾いた空っ風による乾燥という地形的な面でも、浜松はピアノ作りに適していたそう。 このようなステップをたどって、浜松は「楽器の町」になったのだという。 さらにタモリは、最先端のピアノ工場を見学。 「木の板はどうやって曲げているのか?」などの疑問を探る。

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ブラタモリでタモリさんも食べた♪浜名湖うなぎ・うな重|ここのえ日和

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今回の舞台は、静岡県の浜松市。 ピアノ・管楽器・電子ピアノ・鍵盤ハーモニカの生産で世界シェア1位という、まさに「楽器の町」だ。 浜松が楽器の町になった理由とは?5つのステップをたどりながら、タモリがブラブラ歩いて解き明かす。 新幹線の駅構内には、浜松市で生産されたピアノがある。 さらに周囲には、河岸段丘を利用した石垣がある。 家康は武田に対抗するため、天竜川の河岸段丘のヘリであるこの地に浜松城を建て、浜松の町が誕生した。 (2)「家康の領地で綿花を栽培したこと」 続いて中心地から10kmほど離れた町へ行くと、川の近くに小さな高まりがあることに気づく。 「暴れ天竜」こと天竜川が頻繁に氾濫するこの地帯では、この「島畑」という高まりで「綿花」を作っていたのだ。 (3)「織機をつくる細工大工が集まったこと」 浜松の綿花で織られた木綿は江戸でも評判となり、大量の織機が必要となった。 そのため、複雑な機工をもつ織機を作ることができる「高い技術力を持つ大工」が浜松に集まってくる。 (4)「山葉寅楠がピアノ作りに成功したこと」 明治維新後、アメリカ製のオルガンが浜松にもやってくるが、2か月で故障する結果に。 そこで、医療機器の修理工だった山葉寅楠が、細工大工を集めてオルガンを修理した。 これをきっかけに寅楠はピアノ作りを志すようになり、国産初のピアノを独学で作り上げる。 (5)「木材と空っ風」 さらに、南アルプスから天竜川で運ばれた木材と、山を越える乾いた空っ風による乾燥という地形的な面でも、浜松はピアノ作りに適していた。 …このようなステップをたどって、浜松は「楽器の町」へと発展したのだ。 「木の板はどうやって曲げているのか?」などの疑問を探る。 実はピアノの木工技術は、意外な歴史をたどっており、それは他の楽器作りにも活かされてるという。 その謎を探るため向かったのは、航空自衛隊の浜松基地。 実は航空機の木製プロペラには、ピアノ作りの木工技術が使われていた。 そして後にプロペラが金属製になると、その金属加工技術が、トランペットなどの管楽器製作につながり、管楽器生産のシェア1位につながることになる。 nhk.

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