い なくなれ 群青 映画 館。 【感想・ネタバレ】いなくなれ、群青のレビュー

書物の運命

い なくなれ 群青 映画 館

上巻、下巻ともに設定が甘すぎないだろうか。 小説は本を読み頭の中でイメージを作り、それが動き出すものではないのか。 全然、動かない。 冒頭で主人公が登校に電車を使っているのに、それ以降全くでてこない。 どうやって帰ったんだと言いたくなる。 田舎の設定なのに学校周りに遅くまでいる。 どうやってその後帰った?また、他のキャラの家の位置もよくわからない。 檜原は徒歩圏内の学校に通っていたのでは?つまり深町の家の近くでは?なのになぜ千草がその辺を通る?田舎の夜に、学校近辺に住んでいる(と思われる)千草を、電車を使う距離まで町内会が呼び出す?私がちゃんと読み切れていないのだろうか? さらに、終盤。 深町に一度手渡したものが、いつのまにか初鹿野の手に戻っている。 意味が分からない。 作者は推敲をしていない事が良くわかる。 それに結局、初鹿野の痣の原因は放り投げ。 深町と初鹿野で痣の位置が違うことも意味なし。 深町が泣きぼくろを書いた事も意味なし。 必要な描写が無く、意味のない描写ばかりだ。 感情移入もほぼ出来なかった。 急に悪人になりたいと言い出す千草。 千草が消えた後、何事もないように初鹿野と過ごす深町。 自殺を程よく適度に行う初鹿野。 都合よく記憶喪失して過去の罪悪感を認識しているのに、人が違うように深町さえ居れば万事オッケーな初鹿野。 そんなバカな。 物悲しいひと夏の青春を過ごしてるでしょ?っていう作者の妄想にキャラが動かされているよう。 まぁ、作者だから当然なんだけど。 とにかく、キャラが自分で動いてない。 良い点として、やっぱり発想は凄い。 webの作品は全部読んだけれども、今回も痣を中心に、展開を見せてくれる。 泣きぼくろが救難信号という展開は伏線が足りなさすぎるけど、でも良かった。 千草が居なくなるシーンも引き込まれた。 アイデアはあるのに、非常に勿体ない作品でした。 ネタバレを避けるため、あえて本書のあとがきから引用させていただく。 あとがきより 最近、「サマー・コンプレックス」という造語に関する短い文章を書いたら、驚くほど大きな反響がありました。 世の中には「自分は一度として『正しい夏』を送ったことがない」という感覚を抱いている人たちがおり、彼らは夏を強く感じさせるものを見るたび、自分の夏と『正しい夏』とがかけ離れていることを痛感して憂鬱を味わっている……。 こうした傾向を僕は便宜的にサマー・コンプレックスと名付けたのですが、このとき何気なく使った『正しい夏』という一件捉えどころのない言葉が、一部の層の心を掴んだようでした。 多分、これは『正しい春』でも『正しい秋』でも『正しい冬』でもなく、『正しい夏』だったからこそ多数の参道を得られたのだと思います。 三秋縋先生はこのように語っており、この物語は、『正しい夏』を巡る先生なりの回答の一つなのだと思う。 本書を読むと、自分の『正しい夏』とは何か。 そう考えずにはいられない。 上巻はすごく面白かったのに、なんだか急にすごくラノベラノベした流れになってしまってちょっと期待が外れた。 廃墟に通ってひとりで星を眺める初鹿野のために、深町は檜原裕也と荻上千草を誘って、4人のメンバーで毎日のように天体観測をするようになった。 楽しく満ち足りた時間が永遠に続くかのように思われた矢先に、初鹿野が海に飛び込んだ。 再びの自殺未遂で、記憶喪失になってしまった初鹿野。 深町は彼女の勘違いを利用し、檜原のふりをして会い続ける。 初鹿野はどんどん好意を寄せてくれるが、それはあくまでも"檜原"に対してである。 どうせ残り僅かの命なのだからと、開き直ってその幸福な時間を過ごす深町だが……。 って、最終兵器・記憶喪失を使うのはズルいよなぁ。 あとがきで三秋さんが提唱する「サマーコンプレックス」はおおいに支持したい。 めちゃくちゃ分かる。 私たちは正しい夏を押し付けられすぎている。 コンプレックスなんて生ぬるいものではなくむしろハラスメントな気さえする。 そのサマーコンプレックスを、小説に書き落とすことで癒しているっていうのが好き。

次の

映画『いなくなれ、群青』あらすじネタバレと感想。横浜流星が原作の世界観を実写化させた新境地

い なくなれ 群青 映画 館

Posted by ブクログ 2020年02月20日 「ここは、捨てられた人たちの島です。 この島を出るには、失くしたものを、みつけなければいけません。 」 なんだか童話の一節みたいだ。 「僕は暇なのはわりと好きです」 「それはお前が本物の暇を知らないからだ。 暇と休息の違いを知っているか? それらは共に束縛のない時間だ。 まっしろで、自由だ。 でも、人間 は本質的に自由を求めているわけじゃない。 不自由の中に、息継ぎみたいに自由が混じるからいいんだ。 自由ばかりだとどうしていいのかわからなくなっちまうんだ。 誰だって同じだよ。 休息は愛せても、暇は愛せない。 」 雨はすべての風景をにじませて、あらゆる音にノイズを混ぜる。 眺めていると現実がぼやけていく。 ほかにすることもなくて、僕たちは珍しく昔の話をした。 真辺との思い出はいくつもあった。 あんまり数が多いから、忘れられないような出来事でさえ、彼女の口から聞くまで忘れていた。 Posted by ブクログ 2019年08月10日 河野裕のいなくなれ、群青を読みました。 階段島という地図には存在しない場所での物語でした。 高校生の七草は階段島という場所で目を覚まします。 ここは地図にはない島ですが、普通に生活することはでき、七草はここにある高校に通っています。 ある朝、七草は中学時代の同級生、真辺由宇とこの島で出会います。 階段島に送られてきた人たちには何か失ったものがある、という言葉の真相を七草は解明していくのですが... 物語の雰囲気が村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に似ています。 七草の諦観にも似ている静かで力強い行動が気に入りました。 Posted by ブクログ 2019年08月24日 ラノベ、だと思っていたけれど、大人の鑑賞にも堪えうる作品だった。 美しい言葉、いや、美しい世界だった。 七草にとって、唯一美しく正しいもの、真辺由宇。 七草の理想。 それは、階段島にいる七草の、子供じみた想いなのかもしれないけれども、現実に理想を求めて何が悪いのか。 それこそゴミ溜めのような現実にあって、 唯一、光り輝くものだったのだ。 でも、誰もそのことに気が付かない。 ピストルスターのように。 大人になる、とは残酷なことで、でも大人になるしかない、というのもある意味事実で、それでも希望を求めたい、それでも美しく正しいものをが存在していてほしい、とどうしようもなく願ってしまうのだ。 Posted by ブクログ 2020年01月13日 表紙はきりっとした表情のセーラー服の少女、題名も美しいので読んでみた。 今はなくなったような呼び名で言えば、しっかりしたジュニア小説で、ファンタジックな物語が展開している。 捨てられた人がいくと言う階段島で目が覚めた。 中学も高校もあって生活が保障されている。 下宿屋も食堂もある。 郵便は出すことも受 け取ることも出来る、ただ出て行けないだけで、慣れれば暮らしてはいける。 面白い設定だが、一つの階段が頂上に続いていて、上には魔女が住んでいるそうだが見たことがない、何かありそうだが、魔女がいるともいないとも、途中の話には余り関係がない。 面白いのは冒頭、いつも屋上にいる100万回生きた猫と呼ばれる男の子との会話は、芝居の台本のうな、面白いテンポがあり、現実感はないが続く物語に期待を持たせている。 残念なことに、100万回生きた猫というのは七草が呼んだ名前であって、他の登場人物がどう呼んでいるのか、一括しで「ナド」と呼ばれていると言うのはじつに味気なかった。 もうすこし気の効いた呼び名があれば面白い。 こういう浅瀬を歩いているような、ストーリーで物足りない。 主人公の七草という男の子の後から、幼馴染の真辺由宇もくる、性格のまったく違うふたりはこの再会を機に、様々な体験をする。 お互いを理解できるようになっていく出来事は、この話のメインかもしれない。 七草の内向きの生き方にくらべて、物言いもストレートな真辺は好感が持てるだけに、作者の意図もこの辺りにあったように感じた。 特に変わった事のない日々におきる落書き事件、階段を上ってみようという行動派の真辺。 階段島の生活は何のためにあるのか、捨てられたと言う意味は。 いつか外には出られるのか。 最後で種明かしになるが、目新しい出来事もなく、ただ面白いと感じられないのは世代の相違かもしれないと思いながら、乗り切れず苦労して読んだ。

次の

映画「いなくなれ、群青」予告編90秒

い なくなれ 群青 映画 館

ある日突然、僕は<階段島>にやって来た。 ここは捨てられた人たちの島で、どうして僕たちがこの島に来たのか知る人はいない。 この島を出るには、失くしたものを見つけなければいけない。 だが、疑問さえ抱かなければ、島の日常は安定していた。 幼馴染の彼女に再会するまでは…真辺由宇。 「納得できない」と憤慨する真辺は、島から出るために、僕と周囲を巻き込みながら島にまつわる謎を解き明かそうとするのだが…。 「いなくなれ、群青」の解説 第8回「大学読書人大賞」受賞、「読書メーター読みたい本ランキング」第1位を獲得した河野裕の青春ミステリー小説を実写映画化。 主演は、数々の映画で主演を務め若手実力派としての実績を重ねる注目俳優・横浜流星。 本作では、ミステリアスな雰囲気を身にまとう七草というキャラクターを演じる。 また、誰よりも真っ直ぐで、正しく、りりしい少女・真辺由宇を、『暗黒女子』『祈りの幕が下りる時』など多くの映画やテレビドラマで女優としてのキャリアを着実に積んできた飯豊まりえが透明感溢れる演技で体現する。 監督は、アメリカの高校在学中の2001年に短編映画でバッカイフィルムフェスティバルのオハイオ州優秀賞を受賞し、帰国後、カメラマン・映像監督として活動をしてきた新鋭・柳明菜。 (作品資料より).

次の