佐田 啓二。 【君の名は】昭和28年松竹大船 岸恵子・佐田啓二主演

佐田啓二

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スポンサーリンク 中井貴一の父親って誰? まず中井貴一さんの父親は誰なのか? ということで、 しかも父親は俳優として活躍されていた方だったとのことですが、 それは 佐田啓二さんという方なんだとか。 ・・・名前だけ聞いても、 どんな俳優さんなのかピンときませんが^^; それもそのはずで。 佐田啓二さんは主に1940年代後半から1960年代にかけて活躍されていた、 ということなので、 筆者が生まれる前に活躍されていた俳優なんです。 ということで、 佐田啓二さんってどんな方でどんな作品に出演されていたのか、 まとめてみました。 佐田啓二、プロフィール 佐田 啓二(さだ けいじ)• 本名:中井寛一 ちなみに中井貴一さんは本名なんですね!• 生年月日:1926年12月9日 1964年8月17日・没• 身長:171. 2cm• 出身:京都市下京区 佐田啓二さんは学生時代に、 関口宏さんの父親で、 上原謙さん・佐分利信さんとともに「松竹三羽烏」と言われていた、 俳優の佐野周二さんの家に下宿しており、 それが縁で1946年に松竹大船撮影所に入社しました。 ちなみに佐田啓二さん、 本名は「中井寛一」とのことですが、 芸名の由来については、 「佐野周二」の姓と名前を一文字ずつとって名付けたそうです。 佐田啓二はハーフ? それにしても佐田啓二さんって、 色んな顔写真を拝見すると・・・とにかく、 中井貴一さんとそっくりだなって思うのですが、 なんといっても目鼻立ちがハッキリしたイケメン、 なんですよねー! 一見お顔が日本人離れした雰囲気があることから、 「ハーフ??」って思う方もいるのではないでしょうか? しかしながら佐田啓二さんは京都出身で、 ご実家は商家だったことから、 おそらく佐田啓二さんはハーフではなさそうです。 佐田啓二さんは佐野周二さんとの縁で芸能界入りするのですが、 松竹大船撮影所に入社した翌年の1947年に、 木下恵介監督の映画【不死鳥】で、 当時すでに大スターだった田中絹代さんの相手役に抜擢されたことで、 デビュー早々大きな注目を浴びます。 そんな佐田啓二さんを代表する作品は?というと、 何といっても【君の名は】ではないでしょうか。 1953年に公開された【君の名は】は、 ドラマの人気を受けて映画化されたのですが、 この映画に岸恵子さんと共演した佐田啓二さん。 映画が評価されトップスターとなった佐田啓二さんは、 高橋貞二さん・鶴田浩二さんとともに、 「松竹戦後の三羽烏」と称されるようになりました。 そしてその後は演技派俳優として、 1956年に制作された映画【あなた買います】では、 野球のスカウトマンの役を演じ、 毎日映画コンクールやブルーリボン賞といった映画賞の、 主演男優賞を獲得! その他主演した代表作として、 【喜びも悲しみも幾歳月】や【秋刀魚の味】などがありますが、 戦後の芸能界には欠かせない俳優だったことが、 調べてみるとよく分かります。 スポンサーリンク 佐田啓二の妻や子供は? ところで佐田啓二さんの息子が中井貴一さん、 ということですが、 女優でエッセイストの中井貴惠さんは、 中井貴一さんの姉であることは有名な話なので、 佐田啓二さんには娘と息子がいることになります。 そして中井貴惠さん・貴一さんの母親であり、 佐田啓二さんの妻というのが、 益子さんという方。 益子さんは松竹撮影所の前にあった食堂の看板娘だったそうですが、 お2人が結婚する時、 監督の木下恵介さんと小津安二郎さんが媒酌人を務めた、 というエピソードがありますね。 その益子さんですが、 息子の中井貴一さんのことをとても厳しく育てたらしいのですが、 そこには若くして亡くなったという、 佐田啓二さんの存在があったのではないでしょうか・・・ 佐田啓二の死因は? 佐田啓二さんは中井貴一さんが2歳の時に亡くなった、 ということですが、 この時佐田啓二さんはまだ37歳。 これから年齢を重ねてさらに多くの作品を演じることが出来る、 まだまだこれからという時に、 30代という若さで亡くなったことは本当に残念ですよね・・・ さて佐田啓二さんが亡くなった原因、 それは交通事故だったとのことで、 この時佐田啓二さんは運転していたわけではなかったものの、 事故によって右腕と頭蓋底が骨折し、 危篤状態で救急搬送されましたが、 残念なことに佐田啓二さんは、 この事故が原因で亡くなってしまいました・・・ この時は夏休みを兼ねて、 妻や子供達と別荘に来ていたそうですが、 ドラマの収録のため、 妻子を残して帰宅していた矢先に起きた交通事故だった、 という話なので、 突然の訃報にファンはもちろん、 それまで一緒にいた家族は突然の知らせに驚き・・・ 大きく悲しんだことでしょうね。 さて今回【直撃!シンソウ坂上】に出演する中井貴一さん。 番組では父親である佐田啓二さんのエピソードも聞けると思うので、 内容に注目しつつ、 機会があったらぜひ、 佐田啓二さんの作品も見てみたいと思います。

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佐田啓二はハーフでイケメン?嫁や娘や息子、事故や出演作品も調査

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pinterest. 2センチ 職業:俳優 血液型:A型 ジャンル:映画、テレビドラマ 学歴:早稲田大学政治経済学部 佐田啓二さんはお顔を見ると、めちゃくちゃ男前ですよね。 これだけ男前だったら、学生時代はかなりモテていたのではないでしょうか。 学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社します。 1947年木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり大スター田中絹代の相手役に抜擢されます。 田中絹代とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得します。 そしてNHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演し、さらに人気を高めます。 また佐田啓二さんの人気を決定づけたのはなんといっても1953年に公開された『君の名は』です。 この作品でトップスターの仲間入りを果たします。 しかし、調べてみましたが、ハーフという事実はなさそうで、日本人だと言えます。 二枚目すぎてハーフに思われるって、いつの時代も本物の男前ってことですよね。 佐田啓二の嫁、娘、息子は? 佐田啓二の奥さんは、中井益子さんです。 中井益子さんは松竹大船撮影所前にあったレストランの看板娘だったようです。 一流の俳優がいつも通うレストランの看板娘を奥さんにするなんて、なんだかとてもロマンチックですね。 weblio. お姉さんの中井貴惠さんも、お父さんの影響を受けて女優になられたのかもしれませんね。 佐田啓二の事故とは? 佐田啓二さんは37歳という若さで亡くなっています。 中井貴一さんが3歳の誕生日の前だったようです。 お子さんが小さい時に亡くなられたのですね。 それも亡くなられたのは事故死でした。 1964年8月17日午前6時30分頃、乗っていた車が前方車を追い越そうとした際に、韮崎市韮崎町の塩川橋の欄干に衝突、さらに暴走して別の乗用車へも衝突する事故を起こしました。 佐田啓二さんはこの事故で頭の骨と右腕を骨折し、すぐに韮崎市立病院に運ばれたが午前11時過ぎ頃に亡くなりました。 奥さんもお子さんたち2人もとてもショックだったでしょうね。 佐田啓二さんの俳優人生は、突然立たれてしまいましたが、二人のお子さんがお父さんの後を継いで俳優になられたのだと思います。 yahoo. 佐田啓二さんの奥さんは中井益子さん、お子さんは2人とも俳優で、娘さんは中井貴惠さん、息子さんは中井貴一さんです。 37歳という若さで、自動車事故で亡くなった佐田啓二さんですが、佐田啓二さんの俳優としての意志を二人のお子さんが引き継いでおられます。 昭和の大スター、佐田啓二さんの作品を改めて見てみようと思います。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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「君の名は」といえば60年前の日本映画ですが、「真知子巻き」とか 「女湯ががら空き」なんて逸話はいまでも覚えている人がいるとかいないとか、 メロドラマ大好きな~あんかけ( guam345)でーす。 60年まえにも「君の名は」って映画があって、その映画が当時の日本のおば様がたをどれだけ元気にしたっかって、ことを記録しときます。 「君の名は」 制作・山口松三郎 原作・菊田一夫 監督・大庭秀雄 脚本・柳井隆雄 撮影・斎藤 毅 音楽・古関裕而 美術・熊谷正雄 出演・岸恵子・佐田啓二・川喜多雄二・淡島千景・北原三枝・月丘夢二・小林トシ子・野添ひとみ・淡路恵子・笠智衆・市川春代・望月優子 かいせつ 伝説を生んだメロドラマ、韓流ドラマの原点もここにある。 1952年からNHKラジオ(この当時はテレビはまだない時代)で放送された菊田一夫原作のメロドラマの代表作。 放送が始まると女湯(この当時はうち風呂というのはなくて、銭湯に週1,2回通っていた)が空になるといわれたほど大ヒットした。 後に映画は3部作としてつくられた。 東京大空襲の元数寄屋橋で出会った男女が互いに名も明かさず、半年後の再開を約束してわかれたが、様様な障害のためになかなか出会うことができず、女は心ならずもほかの男と結婚してしまう。 やがてその結婚は破局を迎えるが・・・。 主人公の名を冠したキャラクター・グッズもいろいろ売り出された。 あらすじ 東京大空襲の中で偶然知り合い、一緒に逃げ回って助かった春樹と真知子というカップルが、同じ場所での再会を約束して別れる。 そして、1年半後、二人は約束した数寄屋橋で再開するが、そのときにはもう、真知子はほかの男と婚約してしまっていた。 二人は別れるが、互いに相手を思う心は募るばかりだった。 真知子は姑とも夫ともうまくいかず、嫁いだ家を出るが、夫は離婚を承知しない。 春樹と真知子は出会っては別れ、また出会っては別れざるを得ない状況になった。 典型的な通俗メロドラマであり、臆面もなく感情を売り物にしているが、それにしては一種の品の良さがあり、決して俗悪ではない。 そこが2流の映画と1流の映画のちがいであるところだが、主人公の二人の正統派美男美女というだけではない、スタッフの技術が評価されるところである。 例えば、数寄屋橋の再開の場面。 春樹がまず、夜霧の数寄屋橋の欄干のそばでたたずんでいる。 彼がいったん、画面の左を振り向き、さらに右手を振り返って、あっと表情が明るくなると、その見た目の向こうから静かに微笑みを浮かべてやってくる彼女のロングショットになる。 この前のショットで彼の首が左右に振られるのと、つぎのショットで彼女が現れる。 その切り替えが見事な動きとタイミングだと思う。 二人は空襲の中で偶然知り合って再会を約束したのだが、それまでは見知らぬ他人であり、お互いにそうあてになる約束だと思っていたわけではない。 だから、来ないかもしれないと思うのが自然で、その不安が、彼が左右を見渡す動作によく出ている。 と同時に期待をこめてもう一方をみたとき、そこに彼女が現れるというのが、一種の音楽的うねりを感じさせて、とてもいい感じなのだ。 ここで再会した二人は、しかし、ひしと抱き合うのではなく、じっと見つめあっては視線をそらし、うつむいたり、横向きになったり、また顔をあげて見つめあったり、そしてまた後ろ向きになったりと、ほとんど一言いうたびに姿勢を変えながら話し合う。 これは北海道での別れの場面でも同じことである。 求めあう力と、いますぐ互いに胸の中に飛び込むわけにはゆかないという引き離す力とがこもごも作用して、二人は向き合ったり横向きになったりうつむいたり、姿勢がたえず変化する。 それを大庭英雄監督は、まるで日本舞踊のように優雅に振りをつけ、一瞬一瞬、見事な型にきめている。 そこに古関裕而のハモンド・オルガンが悲しいメロディを響かせる。 メロドラマはこうこなくっちゃー。 (佐藤忠男著 日本映画300 朝日文庫より) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 60年前の日本には携帯電話も電話もテレビもなかったので、ラブロマンスが燃え上がったのでしょうか。 今はラブロマンスが足りない時代かもしれない。 便利だから、すぐ連絡とれるからすぐに決着がつく、短期で決着がついたら残った時間で次の案件にいって、数こなしているのだろうか?そうすると、ラブロマンスは数の問題になるのかな。 西洋映画に「ローマの休日」というラブロマンスの最高峰があるのだけど、これも身分の差というのがあった、今の時代、身分の差ってあるのかな、やっぱり、ラブロマンスにはなにか弊害がないと燃え上がらないので、自分で弊害と作ってもえあがらなければいけない。 自分に、これだめ、っていう弊害をひとつ作ってラブロマンスをしよう。 とひとにはすすめておく、ラブロマンスはみるだけでいい・・・!! 東京大あs空襲の中で偶然知り合い、一緒わって助かった chizukoike.

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